雑学の部屋��
スクラップ&ビルド(2007.08.13)
車社会といわれる昨今ですが、それでもやはり徒歩圏内にちょっとしたスーパーマーケットがあれば何かと便利です。
しかし、家の近所にあったそうしたスーパーが2006年閉店し、買い物が少々不便となってしまいました。[:困った:]
そのスーパーの経営母体だった高知スーパーは、高知県内におけるスーパーマーケットの草分けとして、昭和33(1958)年に創業、高知県はスーパーチェーンが四国の中では比較的早くに作られたことから、同36年に相次ぎ創業のサニーマートやサンシャインチェーンなどとしのぎを削り、高知市内を中心に店舗網を広げていきました。
しかし、昭和末期に経営難からダイエー傘下での再建に乗り出します。それで一旦は持ち直したものの、1990年代後半頃から、それまで殆んど進出していなかった県外資本のスーパーが次々進出、またダイエー本体の経営難もあって、平成15(2003)年にダイエーとの提携を解消、自主再建を目指しました。
しかし経営は更に悪化、同18年の8月16日に会社は自主解散、同年10月15日までにその時点で営業していた7店舗は全て閉店したのです。
閉店した店の中には、その後同業他社に買収されたものもありましたが、家の近所にあった店については今も買い手がつかない状況です。orz
だから、ちょっとした買い物にも不便を強いられていましたが、最近になって、ようやく解消されました。[:ワーイ:]
市民病院との統合移転により空き地となった県立病院跡地に、2007年8月に愛媛資本のスーパー・フジが新規出店したのです。
昭和42(1967)年創業のフジが高知県に初めて出店したのは同59年、中村市(現・四万十市)でのことでした。ただ、まとまって高知での店が増え出したのは平成になってからです。 かつてフジは愛媛・高知・広島・山口を営業範囲としており、香川のマルナカ(他に徳島・岡山・兵庫が営業範囲だった)とは相互不可侵の協定を結んでいたと言います。
しかし、平成11(1999)年にフジがマルナカのお膝元・香川に出店すると、これにマルナカも対抗、愛媛や高知にも積極的に出店攻勢をかけるようになります。
実は前述のサニーマートやサンシャインは四国の他3県にも出店しており、フジやマルナカとしては「攻められたら攻め返せ」とばかりに、高知への出店攻勢を強めたという事情があります。
高知スーパーは、いわばその狭間で廃業に追い込まれたと言っていいでしょう。
2007年現在高知県内にフジは(家の近所に出来た店を含めて)8店舗、マルナカは13店舗を構えており、高知県民の間にも確実に浸透しているようです。
コメント欄から
○私の地元の場合、ダイエーは姫路にありました が、なくなりました。
現在はボンマルシェに なっています。
ダイエーは 神戸、甲子園口、龍野 はありますが、西脇はなくなり、 イズミヤになっています。(Kao)
●実はダイエーは四国からも事実上撤退しています。
経営建て直しの為不採算店舗をばっさり切り捨てた結果ですが、ダイエー高知店の跡地もまだ買い手がつかない状況です。 (うみがめ)
○マルナカさんが香川の地場スーパーということはニュースステーションで知りましたが、他県にも進出してるのは初めて知りました。その他はダイエーを除き知りませんでした。
確かに高知県地場は苦しいですね。
私、こういう観光ではない生活の場としてのローカルに、とても興味があるんです。(かじか)
●マルナカは、地元財界では「瀬戸内の暴れん坊」と呼ばれるほど、元気な企業です。 経営難から一時閉園に追い込まれた四国唯一のテーマパーク「レオマワールド」に対し、これも香川生まれの全国ブランド・加ト吉などと共同で支援企業となったほどです。
あと、これはご存知ないかもしれませんが、2006年高知から全国デビューを果たした女性デュオに「スーパーバンド」というのがいます。
彼女達は元々高知スーパーのアルバイト店員で、デュオ名はそこから取ったとのことです。
高知スーパー閉店を受けて、もはや高知に留まる理由はなくなったと全国デビューに踏み切ったそうです。 (うみがめ)
○神奈川の実家近くのスーパー。
子供のころは「忠実屋」。
その後合併などで、「いなげや」に。
現在は「マルエツ」になってます。
私のうちの近くでも、 「ダイエー」「フーデックス」「マルエツ」と変わってます。
資本統合などあるとは思いますが、なくなっては困りますからね・・・。(Colour)
●確かに、かつて自分が住んでいた地域でよく利用していたスーパーも、その後経営母体が変わるなどの変化を遂げた所は多いようです。 (うみがめ)
スーパーマーケットと私(2007.08.14)
かつて、人参や大根は八百屋、鯵や鯖は魚屋、鉛筆やノートは文具屋で買う物と相場は決まっていました。
しかし、今時はその全てがスーパーマーケットで揃います。
とはいえ、私が物心ついた当時にはまだ家の近所にスーパーなどありませんでした。
私がスーパーというものと初めて出合ったのは、4歳の頃でした。
その年(1968)、当時住んでいた東京・下丸子の駅前にマイマート(現・西友)が開店、その2年後には隣接する武蔵新田駅前にサンコー(現・マルエツ)も開店し、買い物もかなり便利になったのを覚えています。
釧路に住んでいた時は、家の近所に製紙工場があったせいか、その製紙会社の名前を取ったスーパーが近所にありました。
十条製紙(現・日本製紙)工場近くに十条サービスセンター、本州製紙(現・王子製紙)工場近くに本州ハイマートと言った感じです。
その後どうなったか調べた所、十条SCは名前こそ変わったものの今も営業しているようですが、本州HMはどうやら潰れたみたいです。
函館にいた頃、家の近所でよく利用していたスーパーといえば、ホリタとボーニストアでしょうか。
ホリタはダイエー傘下の地場のスーパー、一方ボーニストアは地元デパート・棒二森屋の子会社です。
これも調べた所、両社は現在経営統合し、その名もグルメシティと改まったそうです。
あと、釧路にいた頃は農協、函館にいた頃は生協の店もよく利用していました。
こうした組合立のスーパーは、大規模小売店舗法の影響を受けない事から、特に生協の看板はよく見かけた記憶があります。
宮城県にいた頃、家の近所でよく利用していたのはエンドーチェーンと藤崎スーパーでした。 エンドーは、仙台駅前に大型店を展開するなど、地元スーパーの中でも最大規模を誇っていたのですが、その後の経営難から西友に買収されたのだそうです。
一方藤崎スーパーは、これも地元デパート・藤崎の子会社ですが、今もあるのでしょうか?
四国の地場スーパーの多くが、本州資本何するものぞと常に反撃の一手を繰り出しているのとは対照的ですね。
コメント欄から
○わたしの小さい頃は公設市場があり、その中の肉屋、卵屋等のの店舗で買い物をしていました。
当然対面販売なのでほとんどが顔なじで、子供だと少しだけオマケしてくれたりしました。
そこでいい野菜の見分け方とか、美味しい果物の選び方を教えてもらったんでしょうね。(ぽち)
●確かに、それが対面販売のメリットかもしれませんね。
スーパーのようなセルフサービスの店は、効率的ではありますが、その分店員との価格交渉の醍醐味は失われ、どこか無機質な感じもあります。
ところで、仙台基盤のデパート・藤崎は、伊勢丹の影響力が強く、 一方、函館の棒二森屋はこれもダイエー傘下の中合(本社・福島市)と経営統合したとのことです。 (うみがめ)
○そうそう子供の頃は近所の スーパーって言っても個人のお店だったよ。 それに母親は買い物かご持って 買いに行ってたなぁ〜"^_^" (かな)
●そういえば私の母も、スーパーが出来る以前は、何軒かの個人商店が集まったような所で買い物を済ませる、といった感じでしたね。 (うみがめ)
電器屋雑感(2007.09.23)
家電品量販店の業務提携を巡るニュースを聞いているうち、こんな事を思い出しました。
かつて町の電器屋は、特定のメーカーの商品のみを扱う店が多かったな、と。
実際には他社の製品も扱っていたのですが、特定のメーカー名を前面に押し出した店の外装から、そのような誤解を受けていました。これはメーカーの宣伝広告費などから出される開店・改装の補助金制度の条件としてメーカーから提供されるもので、個人経営の店が多かった電器屋を保護する役割を果たしていました。
それに昔は、家電品の構造も単純で、簡単なトラブルは町の電器屋に持ち込めば大体直っていました。
しかし、1980年代に入ると、家電品は次第に高度で複雑な物となり、町の電器屋では直せない物が増えていきました。更に、修理代のほうが買い換えた場合より高くつくという現象が起こり、町の電器屋の中にはこの時期に廃業した所も少なくありません。
ただ最近は、町の電器屋も復権の兆しがあります。
量販店では購入した家電品の配送までしか対応しておらず、取り付け・電気工事や初期設定は別料金となっているところが少なくありません。
その点、町の電器屋は、電気工事店を兼ねている場合が多く、複雑な初期設定や配線も自分達でやってしまうのです。
更に高齢者世帯にも積極的に出向き、メンテナンスを通じて信頼関係を築く所も増えています。
大量仕入れで大量販売する薄利多売を身上とし、短期間に売りさばくことで商品の回転を早くする傾向があります。
近年は、新宿や池袋といった駅周辺のカメラ系量販店や、郊外に展開する量販店(特に北関東から身を興した所)が急成長を遂げています。
北関東基盤といえば、ヤマダ電機(群馬)・コジマ(栃木)・ケーズデンキ(茨城)が有名ですが、このうち現在業界最大手のヤマダは、四国基盤のダイナマイト(旧英弘チェーン)を傘下に収め、またマツヤデンキ(大阪)・サトームセン(東京)・星電社(神戸)の持ち株会社「ぷれっそ」も傘下に収めるなど、業界の風雲児として有名です。
コジマは特にヤマダとの対抗意識が強く、2002年にヤマダにその座を明渡すまで業界トップでした。
またケーズもギガス(愛知)・八千代ムセン(大阪)・デンコードー(宮城)といった地方の量販店を次々傘下に収め、拡大の一途を辿っています。
一方カメラ系量販店は、元々はカメラや写真用品の販売から身を興したものの、近年AV機器やパソコンを中心とした家電品の売上が中心になっている業者です。
新宿西口のヨドバシカメラ、同じく東口のさくらや、池袋のビックカメラがこれにあたります。
このうちビックは、業界2位のエディオンと業務提携、更に1997年までは業界首位だったベスト電器とも資本提携を結びました。
ことのついでにエディオンとは、エイデン(名古屋)・デオデオ(広島)・ミドリ電化(兵庫)・石丸電気(東京)・100満ボルト(福井)の共同持ち株会社で、店舗数では業界トップです。
またベストは、前述のさくらやを子会社としており、またヤマダも大株主となっており、家電量販店間の仁義なき戦いからは今後とも目が離せません。
コメント欄から
○私が住んでいる地域には通りを挟んでケーズ電気とデンコードーがあります。
ケーズ電気さんは向かいの電気屋さんの値段より必ず安く売ってくれます。
向かいの値段を言うと必ず5百円〜千円は値引きしてくれます。
だからいつも向かいのチラシ持参で買い物に行きます。(R)
●「他所より高い商品があったらお教えください」というやつですね。
ただあれは、他店より安く売るために仕入れ値より安くなる場合があり、量販店にとっては利益の出ないサービスと言えます。 (うみがめ)
○私も、明日は秋葉原に行きま〜す!
そう、有名なヨドバシです。
たくさんあって迷いますが、最近は最上階でランチもできるので しかも、車も止められて便利なんですよ〜。
そんなお手軽さから、ここにしていますが・・・。 へへへ。(さゆり)
●そういえば、秋葉原もここ数年変化を遂げましたね。
かつては規模の小さいパーツを売る店が軒を並べていたのですが、今や大資本による大規模な店が次々出来て、新宿や池袋とさして変わらないような感じすら受けます。(うみがめ)
○そうなんですよ〜。
昔は汚いお店が、所狭しと並んでいて、パーツ専門にやってましたね。
懐かしいなぁ〜〜〜。
今や、メイドの格好で案内してくれるサービスもあったり メイド喫茶に対抗して 「お帰りなさいませ、お嬢様」 って店もあるそうです。
大型のデパートのような電気店になって、ビックリです!
変われば変わるものですね〜。(さゆり)
●メイド喫茶ですか、これによって秋葉原はすっかりオタク文化の聖地と呼ばれてますね。(うみがめ)
運動会の花形競技(2007.10.01)
皆さんは運動会にどのような思い出がありますか?
私の場合、幼稚園の運動会は10月頃に行われていたのですが、小学校では6月頃の開催(東京も釧路も)でした。中学の時の体育大会も6月でしたが、それはむしろ陸上競技記録会と言うべきものでした。
高校時代は、2月に雪中運動会が行われていました。
さて、運動会の花形競技と言えば何を思い浮かべるでしょうか?
何と言っても徒競走という人もいるでしょうが、実は私にとっては苦手種目でした。やはり亀だけに、どうしても走るのが遅かったのです。
でも、1等賞もビリもそれは結果に過ぎず、ゴールするまで皆全力疾走しているのです。その過程は平等に褒め称えられるべきです。
だから、最近の運動会でたまに見られる「ゴール直前で皆が手をつないで仲良くゴールインする」という風潮、あれは悪平等主義の現れで見苦しいと思います。結果は結果として厳粛に受け止めるべきです。
徒競走でしか1等賞を取れない子もいるだろうし、例えビリでも他で頑張れば良いのですから。
1900年(第2回)から1920年(第7回)までオリンピックの正式種目だったこの競技、何より団結力が問われます。
運動会では、掛け声として「オーエス」がよく使われますが、その語源はどうやらフランス語の"Oh hisse"(「それ引け」の意)から来ているのだそうです。
しかしその掛け声も所変わればで、高知辺りでは「サーウン」と言うのだそうです。「サー」で勢いをつけ「ウン」と踏ん張る、確かにそのほうが「オーエス」よりも言葉の意味がダイレクトに伝わってきますが、これを近所の小学校の運動会で初めて聞いたとき、やはり違和感を覚えました。
余談になりますが、大阪あたりで「OS劇場」などの映画館を展開する会社・オーエスの社名は、この綱引きの掛け声から取ったそうです。大阪サービス(又はスクリーン)の略かと思ったら違うんですね。
創業者の小林一三(阪急東宝グループの創業者でもある)が「社員一同団結して頑張ろう」という意気込みのもと、名付けたとのことです。
コメント欄から
○運動会の花形と言えば、クラス対抗リレー(クラス全員が出場)ですね。 親の方が熱くなります。
私自身の学生時代は、小学校低学年までは運動会大嫌い。高学年になり身長も伸びて走るのが早くなり、クラス対抗リレーの選抜選手に選ばれるようになり大好きになりました。
中学校時代は陸上競技部に籍をおいていたので、これまたリレーはアンカーで活躍しました。 個人競技では400m走で大会新記録で優勝し、個人的に表彰して頂きました。
過去の良き思い出です。 (ハタチュー)
●リレー競技は大概選ばれた選手だけで行われるものかと思っていましたが、今はそれも違ってきているようですね。
私の通っていた小学校ではクラス対抗リレーのほか、地区対抗リレーというのもありました。
校区内を幾つかの地区に分け、その地区毎に選手が選ばれ競い合うものでした。(うみがめ)
○私はやっぱり 「リレー」だと思います。
選手だろうがなかろうが 大盛り上がりです(^^)/ (さっこ)
●リレー競技と言えば、各クラスを代表する健脚が競い合うというイメージですが、たまにバトンパスでしくじったり、走っている途中でバトンを落としたりする子もいて、それがまたスリリングな展開を演出しますよね。 (うみがめ)
○中学の時は運動会で扇子を持って白いはちまきにスカート(制服の紺)をはいて、踊りをおどりました。白虎隊のような。中学・高校では騎馬戦とか、応援に燃えましたね。個人的には障害物競走などが好きでしたが。(ナナ)
●騎馬戦ですか、それも今時は「危険すぎる」という理由で小学校では行われないようになっているようですよ。
本当は、少しくらい危ない目に遭ったほうがその後の成長には役に立つと思うのですが… (うみがめ)
○「ゴール直前で皆が手をつないで仲良くゴールインする」学校があると聞いたことがありますが、どれくらいの数の学校で、行われているのでしょうかねぇ?
私も 「徒競走でしか1等賞を取れない子もいるだろうし、例えビリでも他で頑張れば良い」というご意見に賛成の立場なのですが、 「ゴール直前で・・・」という茶番をするくらいなら、 そもそも運動会で順位のつく徒競走をしなければいい、と思っています。 (戌年男)
●そう言えば、子供の頃オリンピックごっこをして遊んだ記憶があるのですが、金・銀・銅に加え、最下位の子に渡す「珍メダル」というのを設けていたのを思い出しました。
好き好んでビリになる人などいない、その努力を褒め称えようということだったのでしょうが、今にしてみれば、これは画期的なことだったと思います。
順位付けがいけないのではなく、その順位に拘ることがいけないのです。 (うみがめ)
○例えばゴルフではブービー賞など、上位の賞以外にも賞があるように聞いていますが、 何か共通する考え方があるんでしょうかね?
それとも遊び感覚なのでしょうかねぇ?(戌年男)
●所詮子供の遊びですから、単なる遊び感覚だったのでしょうが、これがもし実際のオリンピックに取り入れられれば、露骨なメダル至上主義も改まるかもしれません。(うみがめ)
○私の中学では、綱引きに人数が多すぎて、なんと綱が切れました。
さらに予備の綱も・・・。
ハッキリ言って、結果も出ずに大笑いしました!
私の所では、花形と言えば騎馬戦でしたね〜。
で、私の得意分野は、借り物競争です!
足が遅いから、これだけは1位になれる唯一の種目でした。(さゆり)
●そんなことがあったんですか、だったらその年は勝負なしということで決着した訳ですね。
借り物レースか、それなら足の速さより物を見つける速さが求められるから、足の遅い人でも1位になれそうですね。(うみがめ)
○同感です。競争は純然と競争であるべき ですよね。
中学校時代は男子は騎馬戦、女子は 棒うばいでしたね。
けんか腰でやってました。
自衛隊生徒ではやっぱり旧海軍の伝統 棒倒しでしたね。
血だらけになって闘いました。 (防人)
●棒倒しですか、間近で観たことはないのですが、きっとものすごい迫力ではないかと思います。 (うみがめ)
○リレーですかね。ハラハラドキドキしますもんね。
後、組体操は小学校の高学年の一番の見せ場になってますよ。
私もやっぱり手を繋いでは反対!!
運動しか出来なかった私には、ここでしか評価されませんもん(笑)
無個性になりそうです。(ぐり)
●組体操ですか、確かにあれは見る分にはいいかもしれませんが、やるほうは必死ですよ。
だからでしょうか、東京の小学校では男女混合でやっていましたが、釧路の小学校では男子のみでした。でも女子も本当はやりたがっていたみたいですよ。(うみがめ)
○花形競技と言えば、やはり、クラス対抗リレーですね。
グラウンドにいる皆が、熱くなりますからねぇ・・・
そういえば、長女の幼稚園では、年少・年中の時の クラス対抗リレーは、子供の代わりに、有志の保護者が 走ってましたよ。
子供の頃、リレーの選手だった主人も出てました。
中には、転ぶお父さんもいて、ハラハラドキドキ・・・
日頃、運動しない方が走ると危険な場合もありますから、 張り切りすぎにはご用心(^^; (スーパーサイヤ人しなぷす)
●そうそう、保護者や教職員が参加する競技では、たとえ日頃鍛えているつもりでも、思わぬアクシデントに見舞われる場合がありますから気をつけましょう。(うみがめ)
相性抜群!?真逆の星回り(2007.11.30)
占いは、古来易経(えききょう)として体系付けられた学問でした。
今日では、四柱推命や占星術に代表される命(めい)、タロットやおみくじなどの卜(ぼく)、姓名判断や風水などの相(そう)に分類されます。
よく「占いなんて非科学的でナンセンスだ」と主張する人がいます。こうした考えの持ち主は、奇抜なパフォーマンス占いや、依頼人を恫喝するような占い師(敢えて名前は出しませんが)を見てそう思っているのでしょうが、彼等は易学の基本をマスターした上で、それを自分なりにアレンジしているだけのこと、決して口からでまかせを言っているのではありません。
今でこそ、易学は疑似科学の一つとされていますが、太古から様々に発展していった歴史を考えれば、全くのナンセンスとは言い切れないと思います。
何故急にこんな話を持ち出したかと言うと、よく占星術で「真逆の星回りの組み合わせは相性抜群だ」と言われているのを、自分の周りの人で実証してみようと思ったからです。
私は5月23日生れの双子座、妻は11月30日生れの射手座と丁度真逆の星回りとなっています。
一方、父は12月3日生れの射手座、母は私と同じ日生れの双子座、丁度私達夫婦と同じ星回りとなっています。
兄夫婦も、兄は1月9日生れの山羊座、兄嫁は7月10日生れの蟹座とこれも真逆の星回りです。
こうして見ていると、私達の家族は皆真逆の星回りとなっており、占星術の通りであることが分かります。
といっても、実際には万事気が合うと言う訳でもありませんが…