気になる言葉��


どうしてうみがめ? (2006.10.03)

私のハンドル(ネット上の通称)の由来についてお話します。

そもそも、本名「亀山」が何故「海亀」を名乗っているのか?

別にただ「亀」と名乗っても良かったのですが、体質的に汗かきで湿っぽいこと、また東京・釧路・函館・宮城、そして高知と海亀が回遊する太平洋沿岸地域を転々として来たことから、「うみがめ」をHNにしよう、と思い着きました。

つまり私は、同じ亀でもトータス(山に住む亀)と言うよりタートル(海亀)のイメージが強いのです。

コメント欄から

○なるほど!

海がめの方が優しいイメージがあるので、お写真を拝見した感じからもぴったりだと思います。(讃岐うどん)

●有難うございます。同じ亀でもスッポンではしつこそうだし、噛み付き亀では凶暴そうだし、やはり海亀がイメージ的には一番いいのでしょう。(うみがめ)

○話は反れますが、海亀の出産を生で見てみたいんですよね!!

心に残る体験が出来そうな気がするんです。

確かに、亀はいろいろいますが、昔話に出てくる亀とか、悪い亀はいないですしね!! (讃岐うどん)

○うみがめといえば、まず思い出してしまうのが『不思議の国のアリス』に出てくるうみがめのスープです。『不思議の国のアリス』は数学者のルイス.キャロルの作品で、大好き。(ナナ)

●東南アジア辺りではウミガメが食材として珍重されているようで、それによる乱獲がウミガメ減少の一因ではないか、とも言われています。(うみがめ)


変わりやすいのは…(2006.10.16)

よく聞く諺に「女心と秋の空」というのがある。辞書によれば「秋の空模様が変わりやすいように、女の心は極めて変わりやすいということ。『女の心は猫の目』とも言う」という意味だそうだ。

なるほど良く言ったものだ、と思っていたら、ある時「いや、変わりやすいのは男心だ」と聞いたことがある。本当かと思い、調べてみた。

「男心と秋の空  秋の天候が変わりやすいように、男の心も移り気で、女に対する愛情も変わりやすいものだということ」

で、聞いた話では「男心…」のほうが実は古くから使われていたのだそうだ。

秋の空のように移り気なのは男心か女心か、そんな不毛な議論をするより、いっそ「人の心と秋の空」として一まとめにすれば、と思ってしまうのは私だけだろうか?

コメント欄から

○「人の心と秋の空」とは、うまいこと言いますね、うみがめさん。

今の世の中、男も女も関係なく、なんだか腹(肝?)のすわらない人間が増えましたもんね。

現代においては、「人」と書き換えた ほうがピッタリくるような気がします。(バリ猫)

●全くその通りと思います。 本当は、男女関係無く人の心そのものが移ろいやすいのかもしれません。(うみがめ)


かわるにかわらん (2007.03.07)

高知にやって来て、「〜ちゅう」だの「〜やきに」などの表現には特に違和感を覚えなかったものの、どうしても違和感を感じてしまったのが表題に示した言葉です。

変わるに変わらん

一体変わるんだか変わらないんだかはっきりしやがれ!と言いたくもなりますが、しかしよくよく聴いていると実はこう発音していたのでした。

変わるにかあらん

これではわかり難いと言う方の為に、あえて旧仮名遣いで表記すると、

かわるにかあらむ

もうおわかりでしょうが、「〜にかあらむ」とは平安時代によく使われていた言葉で、現代語に訳せば「〜であろうか」といった意味です。つまり、「変わるにかあらん」とは、「変わるのではなかろうか」という意味だったのです。

こんな風に高知の方言には、古語の生き残りのような表現が散見されます。

大層という意味の「まっこと(誠)」、直ちにという意味の「ざんじ(暫時)」などもその部類でしょう。

現に、高知のお年よりの中にはじとぢ、ずとづを発音し分ける人も多いといいます。

反面、高知の人は、ティをどうしてもチと発音する傾向にあるようです。「バッチング」「ボランチア」「レモンチー」などのように。

いや、実は高知以外でも「チーム(team)」や「スチル(still)」のように、本来ならティと言うべきところをチと発音する言葉があります。思うにこれらの言葉は、元々日本語に無かったティという音をチで代用していた時代に輸入されたもので、それがティが一般的になった今も生き残っているのでしょう。

そうやって考えると、バッチングなどの表現もティをチで代用していた時代を今も引き摺っている結果だ、と考えられます。これもある意味古語の生き残りかもしれません。

コメント欄から

○近所の親しい奥様は高知出身です。

岡山の方言も音的にあまり奇麗では有りませんが、高知弁も聞きなれるまでは奇妙でした。

「〜家」を「〜く」と言ったり、「お返し」を「お留め?」と言ったり・・・。

ご指摘のティもチです。

方言は味があっていいですね! (sakura)

●仰る通り、「私の家」は「おらんく」と言ったりしますね。

妻が岡山の出身だから、岡山弁を耳にする機会も多いのですが、確かに「来なさい」を「こられえ」と言ったりして面白いですね。(うみがめ)

○新潟にお酒を造りに行ってたときは、言葉には、かなり迷いましたね!

用意したっけ、あとたのむ!

と言われても、用意したかどうかなんて、わからないし・・・。

したっけ は、したから になります。

東京で、標準語(東京語)に慣れるというのは、ちょっと困りもんだと思ったものでした。

東京でも、しゃくえん(百円)や、「ぜし」(是非)、しがし(東)のように、「ひ」が「し」になりますけど・・。(Colour)

●「したっけ」は、北海道でも聞いたことがあります。ただ、その意味は新潟と違って「だけれども」というものでした。 (うみがめ)

○言葉の変化、文化は面白いですね。

私は先日、方言ではないのですが、 「小春日和」という言葉の使い方に ある種のショックを受けました。

本来の意味は、初冬(11〜12月頃)の よく晴れた暖かい日の事を指していた言葉ですが、 現在では、春の陽気そのまんまの意味で使われていたり。

言葉は時代と共に変化していくものですが、 変化の仕方が何だか粋でないというか、違和感を覚えます。

未来の人が言葉をひも解いて調べた時に、 20世紀頃誤って使われ始めた言葉。

なんて、事になるとかっこ悪いなぁって。(^_^;) (KOJI)

●私も、そのように誤用されていたなんて初めて知りました。

願わくば、その誤用がこれ以上定着しませんように。(うみがめ)

○「オカベをこっけ」

鹿児島弁ですが、あわかりになりますかね?(戌年男)

●九州に親類はいないから、薩摩弁は全く見当がつきませんね。(うみがめ)

○「豆腐を買って来い」の意味なのです。

「オカベ」は「豆腐」です。 オカラに対してオカベ。

「買って来い」(kattekoi)は「こうてこい」(koutekoi)で、 「こっけ」(kokke)になります。(戌年男)

●そうだったんですか。

私のイメージする薩摩弁は文末に「〜でごわす」と付く、くらいのものでしたから、これは新発見でした。(うみがめ)

○私の経験では、「〜でごわす」を使う人はいなかったですね。

ただし、「〜でごあんど」は、年配の方でありました。

年配の人の丁寧な言葉には、例えば、 「あいがともしゃげもした」(あるいは「あいがともさげもした」) というのがあります。

わかりますか?(戌年男)

●「薩摩弁=ごわす」とは、「土佐弁=ぜよ」と同じで、テレビドラマや映画の影響から来るイメージではないかと思います。

で、御出題の薩摩弁ですが、「私が申し上げたように」といったニュアンスに感じますが… (うみがめ)

○昔の人々は実際にそのような言葉を使用していたのか、よくは知らないのです。

作られたイメージなのかどうかも、よくはわからないのです。

出題の意味は「有難うと申し上げます」であって、 「有難う」を丁寧に言っているようです。

「オカベ」もそうですが、単語そのものが標準語と違うと、 一般には何を言っているのか、わからないでしょうね。

もちろん、語尾がわからないと正確な内容はわからないのでしょうが。(戌年男)

●なるほど、そう言われてみればそんな感じにとれますね。(うみがめ)

○私が初めて土佐弁に触れたのは、小学校5年だか6年で習った「どろんこ祭り」でした。どろんこ祭りのレポートではなく、女性が男性に泥を投げるはずの祭りで、性格が自分の性らしくない者どうしが違う性に化けた二人が、バレてしまってからも本来の性らしくふるまってしまったというオチの童話です。光村の教科書だった人は覚えておいででしょう。ニュースでどろんこ祭りが流れるたびにあのエピソードを思い出します。次が、大学のときに高知入りした頃かな。(かじか)

●どろんこ祭りといえば、春先の高知の奇祭として余りに有名ですね。この日ばかりは無礼講ということで、当時の橋本県知事も泥メイクにされていたのが何年か前のTVニュース(全国版)でも紹介されていました。(うみがめ)


あるがナイ (2007.03.08)

前記事の続きです 。

それで思い出したのですが、昔家にあった民謡のレコードを聴いていて、どうしても解せない言葉がありました。

茨城県民謡「常磐炭坑節」の一節です。

ハア おらが炭坑でヨー 見せたいものはナイ

なんだ、自慢できるものが無いんだったら自慢げに言うなよな、そう思って続きを聴くと、

男純情にヨー ドント良い女ナイ

なんだ、ちゃんとあるんじゃないか、それなら何で無いなんて言うんだろう?

これは大分後になって判ったのですが、ここでいう「ナイ」とは決して「無い」のことではなく、茨城弁で特に意味を持たない間投詞、強いて標準語に訳せば「なあ」とか「はい」といったものだったのです。

つまりこの歌詞の前節は「常磐炭坑で自慢できるものはなあ…」という意味だった訳ですね。

コメント欄から

○「ズラ」・「だすけ」・「じゃん」・「だーよ」

などなど、語尾につけている無意味な言葉って色々ありますよね!

民謡なら、もっと多いと思いますけどね!(Colour)

●まあ、これら単純な接尾語ならともかく、東京の下町では「バカヤロー」が半ば間投詞として使われている、と知ったときは驚きでした。

確かに、「俺はうみがめだバカヤロー」というような用例を考えれば、決して他人を罵倒するつもりはないとは判りますが、あまり品のいい言葉ではないから誤解を招きやすいのでしょう。(うみがめ)


うみがめ先生御侍史(2007.03.19)

仕事上、他の病院から患者を紹介されたり、あるいはしたりする事が多い。

その際、紹介状(診療情報提供書)を書く事になるのだが、その宛名には大体「机下(きか)」あるいは「侍史(じし)」という脇付けが添えられている。

私も研修医時代、先輩医師から「紹介状の宛名には御侍史と添えるのが慣わしだ」と言われ、始めのうちは特に何の疑問も持たずそれに従っていた。私自身も表題に示したような宛名書きの紹介状をよく貰っている。

しかしある時、私が学生時代にある教授から頂いた手紙の宛名に「御机下」と添えられているのを見た私の親が「さすがは大学教授。難しい言葉を知ってらっしゃる」と言っているのを思い出して、その先輩医師に「御侍史って何ですか」と訊いてみた。すると、「いや、俺もよく知らないんだ」と言われてしまった。

意味もわからず、ただそれが習慣だからというだけで添え書きしていた訳である。

すっきりしない私は、先輩が知らないなら自分で調べるしかないと思い、辞書を当たった。すると、こう書いてあった。

机下 書簡で、宛名に添えて書く語。相手の机の下まで差し出すという意で、敬意を表す。案下、おそば、おてもととも言う。

侍史 �ゝ�人のかたわらに侍する書き役。右筆(ゆうひつ)。

�⊆蟷罎力読佞慮譟�侍史�,魴个萄垢珪紊欧襦△垢覆錣�相手に直接差し上げる事をはばかるという謙遜の意を表す。侍曹ともいう。

つまり、いずれも謙譲表現という訳だ。

ただ宛名が個人の場合、今時は様、殿、あるいは先生といった敬称をつけるのが一般的で、その敬称自体に既に相手に対する敬意は込められているので、敢えて脇付を添える必要がなくなっただけだ。

脇付として今も現役なのは、宛名が団体の場合に使う「御中(おんちゅう)」位のものである。

では何故そんなカビの生えたような表現が医者の世界では今も生き残っているのか?

これは私の想像だが、始めにこの表現を使った医師は、「相手は自分より格上の医師、だから最高の敬意を表さなければいけない」、そう考えたのだろう。

だから、今時誰も使いそうに無い机下や侍史といった脇付を、それもご丁寧に御という敬語まで使って添えたのであろう。

しかし、「○○先生御侍史」という表現は、よく見ると二重・三重の敬語となり、却って相手を馬鹿にしかねない。

そうした意味を知った私は、現在では、所定の用紙の中に既に印刷されている場合はそのまま生かすが、白紙の状態から書く場合は「○○先生」と書いた横に小さく「侍史」と添えるようにしている。それが脇付の本来の書き方だからである。

コメント欄から

○ナナ、な〜るほど。

決まり文句といえども、気をつかわなくてはいけないのですね。

「あいつ、物を知らない....」などといわれないように。

「様」という字も「樣」と目上の人には書かなければいけないと、聞いたことがありますが(もしかしたら違っているかもしれません)(ナナ)

●まあ、ここで取り上げた「机下」「侍史」も、それを意味まで理解して使っている医師はごく少数でしょう。

それが慣わしだからと言われて、特に意識することなく書き続けている人が殆んどだと思います。

それにしても、「様」にも特別な書き方があったとは知りませんでした。(うみがめ)

○若かりしころ、封筒に机下という紹介状を書いてもらいました時、当時はものを知らなかったもので、紹介状を書きまして、袖の下か何かをもらうのかのなぁと、変なことを考えたりしたことがありました。恥ずかしいですね・・ (じゃがいも)

●いや、そう考えても不思議はないと思いますよ。手紙の宛名に脇付を添える、という習慣は今時一般的ではありませんからね。 (うみがめ)

○少し話が逸れるかもしれませんが、 「御前」という表現は、昔と今とでは意味あるいは使用方法が逆のように思います。

正確な意味が知られないまま(あるいは忘れられて)継承されるものと、 意味あるいは使用方法が変化して継承されるものとがあるようですね。(戌年男)

●おまえに限らず、きさま(貴様)も、元々は尊敬語でした。というより、今では下品な言葉とされるこれらの二人称も、全て相手に対する尊敬の意味が込められていますよね。 (うみがめ)

○格上、格下

そういう考えってどうなのかな

人間平等

上下ないと思いたいのですが

自分以外はすべてが師と思っております。

出会い学ぶこと多いので。(NON)

●まあ、格上・格下という概念を否定してしまったら、そもそも敬語という概念自体も成り立たなくなりますからね。 (うみがめ)

○私も仕事上「御侍史」「御机下」を使いますが、 「御侍史」って「おんじし」って読むんですかねぇ?

「御机下」は「おんきか」ですよねぇ?

んー、日本語って難しい・・(バンビ)

●その通りです。

ただ、やはり日常使わない言葉だからか、職員の中には侍と待とを混同してか、「ごたいし」と読んでいる人もいます。(うみがめ)

○侍史は差し出す人の召使にあてて出すこと(位の高い人に出すとき:先輩とか)

机下は差し出す人の机に忍ばせて置くこと(自分より位の低い人に出すとき:後輩など)

貴族社会では当たり前のことだった(昭和初期まで)(bg)

●補足有難うございます。

そうですか、元は貴族階級が使っていた言葉だったのですね。道理で庶民階級出の私には縁遠い言葉だったわけか…[:汗:](うみがめ)


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