うみがめ見聞録��


ぶっ通しの講義 (2009.01.13)

1月10日から12日までの3連休を利用して、大阪に出かけていました。

といっても今回は明確な目的があってのことです。

実は病院側から、医師を対象とした研修会があるのでそれに出てみないか、とのお話がありました。

それは「後期高齢者診療に係る研修」でした。

私が今勤めている病院は入院・通院とも高齢者、とりわけ後期高齢者と言われる75歳以上の方が多く、彼等に対する医療的アプローチは若年層とは全く異なることから、それを現場で働く医師に学んでもらい、日常診療に役立ててもらおうと、全日本病院協会の主催、日本老年医学会の協力で行われた研修会です。

既に去年、同じような会が東京でも行われ、そちらに出席した院長が「これは為になる。是非うみがめにも学んでもらおう」ということで、今回の出張と相成ったのでした。

 
10日夕方に大阪入りし、翌11日の午前9時から午後5時まで、途中1時間の昼休みを挟んだものの、その前後はほぼぶっ通しで講義が行われました。

会場となった大阪国際会議場は、建物も新しくかなり広い会場でした。

院長によれば、東京で会場に充てられたのはとある予備校で、かなり狭い会場だったとの事です。

実際に講義なされたのは京大や阪大など関西在住の先生方でしたが、使われるテキストは東京会場のものと共通で、従って質疑応答も受け付けない形で講義が進みました。

確かに為になる話でしたが、殆んど休みなく講義が続くというのもかなりきついものがありました。

ところで、今回の出張には妻が同伴しました。

丁度3連休にも当たることから、家に妻を残すのもどうかと思ってのことです。

とはいえ、私の旅費(交通・宿泊)は病院側が負担したものの、妻の旅費は実費を取られました。

で、私が研修会に参加している間、妻は以前も紹介したANAホテルのエステサロンでホットストーン・セラピーを受けていました。

このところ風邪気味だったのですが、これで少しは楽になったと話していました。

でも今回の泊まりは、国際会議場に隣接するリーガロイヤルホテルでしたが。


ネット仲間と初めて会う(2009.01.14)

(上記記事に関連して)

これまで私は、ネット上で様々な人と出会ってきましたが、こちらの勤務体制が不規則であること、またネット仲間の多くは遠隔地に住んでいることなどの理由で、なかなか直に会って話をする機会に恵まれませんでした。

以前高松在住のネット仲間にお会いできないかと2度ほど連絡したのですが、結局2度とも会えず終いでした。orz

今回大阪に出向くに当たって、これは関西在住の仲間に会える絶好のチャンスと考えた私は、1月5日にゆびとまで友達登録している人のうち、関西在住の7人に「この機会にお会いできないか」と私署箱メールを送信、そのうち5人から返事が来ました。

しかしその殆んどは「既にその日は他の用事が入っている。残念だが今回はお会いできない」という内容でした。

大阪行き自体は前から決まっていたことだから、もっと早くに連絡を入れなかった私も悪いのですが、それにしてもみんな結構忙しいんだなと思いました。

そんな中、津熊照美さんだけは「11日の夜なら丁度空いています」との返事を下さいました。

そこで11日の夕方に「今ANAホテルにいます。そちらのロビーで待ち合わせましょう」と電話を入れました。しかし津熊さんは「申し訳ありませんが、今体が言うことを聞きません」との返事でした。orz

実は彼女はその日早朝から仕事をしていて、その為に疲れが今になって出てきたとのことでした。

無理はさせられないと思った私達は、その夜は梅田のHEP FIVEというビルの上にある観覧車に乗ることにしました。

ここはビル一体型の観覧車としては世界初のもので、10階建ての建物の7階が乗り場となっています。最高点は屋上を越えて105.4mとなっており、同じ大阪市内にある天保山大観覧車の112.5mには及ばないものの、ここから眺める市内の眺望は壮観の一語に尽きます。

 
ただ津熊さんは、その夜のメールで「明日空港までお見送りになら行けると思います」とも書いており、それにわずかな期待を寄せていました。

そして12日、大阪(伊丹)空港に4時過ぎに着いた私達は、売店で土産物を物色していました。すると5時半頃だったでしょうか、私の携帯が鳴りました。

「津熊ですが、今、空港に来ています」

待ってた甲斐がありました。

津熊さんは、お見かけ通りのフレンドリーな方で、これが初対面とは思えないほどでした。

短い時間ではありましたが、こうして直接お会いできたことは、私にとっていい思い出になりました。

今度いつ動けるかはわかりませんが、またその時にお会いできたらいいな、と思いました。

勿論、大阪以外に出向く機会もありますので、その時はその地域に住むネット仲間とお会い出来たらと思っています。

コメント欄から

○確かに初めて会った気がしないフレンドリーな方ですね!( ^▽^)先月(12月)、東京でお会いしましたから解りますw(まだらや)

●やはりこれは、人柄なのかもしれません。若い頃かなり苦労されたお話もなされていましたが、ちょっと見それを全く感じさせない感じはありましたね。(うみがめ)

○全然知りませんでした。

その日の津熊さんのブログで初めて知って コメント入れることしかできませんでした。

お会いしたい方、いっぱいいます。

でも、うちは夫があまり理解がありませんので きっと、難しいだろうなあ・・

チャンスがあれば ご一緒できればいいですねぇ~(*´▽`)b (かおりん↑)

●実際私も、友録している方以外にもお会いしたいと思うのですが、連絡の取りようがない以上それは難しいかなと諦めざるを得ません。(うみがめ)

○いつか私もここでのお友達に会ってみたいです。

津熊さんと少しでもお会いできてよかったですね。そんなにしてまで時間を作ってくれる、津熊さんらしいと思いました。(りひりひ)

●私もそう思います。お忙しい中をこの私に会うための時間を作って下さったのですから、ただただ感謝です。 (うみがめ)

○ああ、どうも有難うございます 〜

そーなんですよね!

自分が住んでいる地域と違うところに行く機会には歓迎して欲しい〜って思います〜

誰かがしてくれるのを期待してもしょうがないので 自分でその機会を作る〜 です〜。(津熊照美)

●いえ、こちらこそ御足労をおかけして申し訳ありませんでした。

でもお陰で楽しい時間を過ごすことができました。有難うございます。(うみがめ)

○会えてよかったですね^^

高知には行く機会はないと思いますが、東京に来られる際は 是非、お会いしましょう♪ 

早めにご連絡いただければオフ会もできるかも知れないですしね☆ (実夢)

●私のゆびとま仲間は現在42人、そのうち首都圏在住の方は14人ほどいますが、その全ての方とお会いできるかどうかはこちらの行動力次第と言えるでしょう。

一人でも多くの方とお会いしたいですね。(うみがめ)

○私もプチオフ会というか、ネットのお友達に会ったことがあります。(でも異性だと…あ、今の主人が最初で最後だわ…)

インターネットが無ければ、もしかしたら全然知り合えなかったような方とこんな形で会えるのも、ひとつの奇跡ですね。(猛獣使い)

●全くその通りです。

もし私がネットをやってなかったら、きっとこうして津熊さんとお会いすることさえなかったかもしれません。(うみがめ)

○ほんと残念でしたぁ

次回は早めにわかると なんとかできるかも^^

1人でも会えてよかったですねぇ♪

ネットの世界も捨てたもんじゃありませ〜〜ん(ひらり)

●今回、予定自体は確か1か月以上前から決まっていたのですが、皆さんに予告するのが少し遅かったようでした。

まあでも、結果良ければすべてよし、ですね。(うみがめ)

○おぉ〜ネット仲間と会われたんですね〜(≧ω≦)b

ウチは、まだまだ勇気がなくて ネット仲間さんにはお逢いできそうもないでっす

((o(>▽<)o)) きゃははっ (ま〜ま)

●いやそれでも、確か同じ学校の卒業生の方とはネットを通じて再会なされたんですよね?

私自身、ここに登録していなかったら中学や高校の時の同級生と再会を果たすことなど考えられませんでした。(うみがめ)

○そうなんですよ(*^□^*)

一行メッセージを入れたら「同窓会をするぞ!」って

で、本人なにもせず・・・かき集められたウチらが発起人・・・(≧ω≦)b

ネットはホントに一期一会ですね〜〜

((o(>▽<)o)) きゃははっ (ま〜ま)

○どうなる事かと思ったけど お会い出来て良かったですね。

機会があればこちらにもどうぞ(かな)

●私の母と兄は現在千葉県に住んでいて、その為に年に最低でも1回は帰省しているのですが、このところは帰省しても父の法事があるなどして、なかなか思うように時間もとれません。(うみがめ)

○一昨年(2007)、私もオフ会にお子と初参加させてもらいました〜

なんかいつもネット上でやりとりしているので とても初対面と思えないくらいでした

とっても楽しかったですよ♪

うみがめさん、九州にお越しの際はゼヒご連絡くださいね〜!(バンビ)

●確かに、ネット上で日頃からお付き合いがあるから、直接顔を合わせるのが初めての方でもすんなり馴染めるのですよね。

九州遠征はいつのことになるかわかりませんが、その節は是非声をかけるようにします。(うみがめ)

○今回は拠ん所ない用事で行けず、残念でした

お逢い出来ると信じてますので、御来阪の際はご連絡宜しくお願いします(うす)

●この次はいつのことになるかわかりませんが、予定が決まったらまた連絡しますね。 (うみがめ)


近くて遠い北の島(2009.02.08)

さっちゃん☆の「北方領土」の関連記事

北方領土の日

北方領土返還運動を盛り上げる為に、 政府が1981(昭和56)年に制定。

1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)、 日露和親条約が締結され、北方領土が日本の 領土として認められた。

北方領土は択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島からなり 、面積は4996平方kmで沖縄の2倍強ある。

江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていた。

かつて北海道に住んでいた頃、テレビでは毎日のように「北方領土返還」を呼びかけるスポットCMが流れていました。

ただ、始めのうちは今ひとつピンと来ませんでした。

その認識が変わったのは小3の春休みでした。

家族で根室・納沙布岬を訪れたのですが、そこからは歯舞諸島が間近に見えました。

「これが世に言う北方領土だな」と気付き、こんなに近くにある島が実は遠い存在になっている現実を思うと、どこかやりきれなさを感じずにはいられませんでした。

たださすがに「北方領土を返せ!」とシュプレヒコールを上げることはしませんでしたが。

「日露通好条約」により、ロシアとの国境が択捉島と ウルップ島との間に確定された。

その後、1875(明治8)年の 「樺太千島交換条約」によって樺太全島を放棄する代わりに 千島列島全てが日本領となり、1905(明治38)年の日露戦争の 勝利により、「ポーツマス条約」で南樺太も日本領となった。

第2次大戦の敗戦により、1951(昭和26年)の 「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った 土地の権利・権原等は放棄することとなり、千島列島もその中に含まれた。

しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、 権限を放棄する千島列島には含まれないが、 ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領し 、その状態が現在まで続いている。

とはいえ、世間一般の認識は「北方領土を持ち出すのは旧ソ連に圧力をかけようとする一部の団体だけ」となっているように思います。

そもそも日本政府が主張する「四島返還論」以外にも、日本国内には様々な返還要求論が存在します。

二島返還論

1956(S31)年の日ソ共同宣言で日本への返還が確認されている歯舞・色丹の二島を、ひとまず日本側に返還させ、残った択捉・国後の両島については、両国の継続協議とする案で、鈴木宗男氏が提唱しています。

似たような主張としては、、国後島を日本領、択捉島をロシア領とする三島返還論、択捉・国後の両島を日露で共同統治するという共同統治論、歯舞・色丹・国後の3島に加え、択捉の25%を日本に返還させ、残り75%をロシア側に譲渡するという面積2等分論などがあります。これらは何れもより現実的な解決法と言われていますが…

北千島を含めた千島列島全体の返還

全千島は樺太・千島交換条約で平和裡に手に入れた領土だからという主張で、日本共産党はこの説に立ちます。

似たような主張としては、日ソ基本条約などを根拠とする南樺太・千島列島全島返還論もありますが、実現性の面で問題があります。

実は、「北方領土が日本固有の領土」と言う主張も実際のところ不確かなのです。

彼の地には元々アイヌ民族が住んでいました。

日露和親条約締結前の1760年代に、あるロシア人が択捉島でアイヌから毛皮税を取り立てたという記録が残されており、また最上徳内が和人探検家として最初に択捉島を訪れた1780年代には、彼の島には3名のロシア人が居住し、アイヌの中にロシア正教を信仰する者がいたことが知られています。

この時期、既にロシア人の足跡があったことを裏付ける史実です。

何より、ロシア(旧ソ連)が抱える領土問題はこれに限ったことではありません。

2005年に解決した中露国境紛争、あるいはラトビアやエストニアといったバルト三国もソ連併合時に国境を変更させられたことなど、領土を巡る難問は山積みで、日本にばかりいい顔ができないというのが偽らざる本音のようです。

だからと言って、諦めてはいけません。

粘り強い交渉で、いつか返還を勝ち取って頂きたい、今はそう願うばかりです。

コメント欄から

○戦前の記憶が有る方が、存命のうちに 記録として残して置かないと 戦後生まれは、理解できないですね

領土問題には、そこに住んで居た 記憶って説得力が有ると思いますが? (ちーちゃん)

●確かに、かつて北方四島に住んでいた日本人も、高齢化が進んでいます。

彼等が元気なうちに解決されることを願うばかりです。(うみがめ)

○私は北海道の人間で、北方領土も岬から間近にて、同じような気持ちになりました。(ohton)

●北方領土問題について、どうしても北海道人と内地人との間には温度差があるようです。

無関心ならまだしも、「そんなもの無理に返してくれなくてもいい」と主張している人もいるくらいです。

確かに、あの島々には現在ロシア人が住んでおり、彼等の生活権も尊重しなければいけませんが…(うみがめ)

○この記事はどうしても長い文章になるので

私が書けばボロが出ますので・・・・。(さっちゃん☆)

●いえ、正直私もどこまで記事にしたらいいか迷いました。

自分としては、これでもかなり要約したほうではないかと思います。全て書こうと思ったらこれの倍以上の分量になりますよ。(うみがめ)


最初は純粋な訪問者(2009.03.27)

プロフィールでも触れたように、私は各地を転々としてきましたが、その中でも函館と高知には、実際に住むより前に一度ずつ訪れていました。

私が最初に函館を訪れたのは兄の高校進学に合わせてのことでした。

この時は釧路を夜出て、列車を乗り継ぎながら昼頃函館に着くという行程でした。

函館では、父の仕事仲間の案内で市内巡りをしたのですが、このとき回ったのは五稜郭公園・立待岬・トラピスチヌ修道院など、当時の函館観光の定番とも言うべき場所が中心でした。さすがにこの時は、函館山の夜景までは見に行きませんでしたが。

しかし、この時私達家族を案内した人物が翌年函館から転勤し、その代わりに彼が住んでいた官舎に住むことになるなんて、このときの私は全く想像できませんでした。

勿論両親は、翌日以降入寮式や入学式にも参列したのですが、いくら兄が住むことになったからと言って、この時はまさか自分も翌年から住むことになるなんて想像できませんでしたから、入学式の間は別室で待機していた私個人は完全に物見遊山の感覚でした。

 
一方高知を始めて訪れたのは、その函館に引っ越して初めて迎えた春休みのことでした。

父の生家のある多度津を早朝出発し、昼前に高知に到着、そこから今は亡き定期観光バスで高知城・龍河洞・桂浜と回るコースでした。

この時は私達家族のほか、祖母と従姉が同行しました。

「高知に行く」と聞いて祖父は「室戸か足摺にでも行くのか」と思っていたそうですが、さすがに当時の香川からそこを目指したのでは泊りがけでないと行かれません。

この時は、函館を最初に訪れた時以上にただの観光客の感覚でしかありませんでした。

その年の4月に別な従姉が高知の明徳中学に入学したのですが、それでも私にとっての高知は多少身近に感じられたかな、という程度でした。

まさかその7年後に自分も住むことになるなんて、この時は全く想像できませんでした。


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