うみがめ見聞録��


豪快!一気飲み(2008.05.04)

毎年春の連休前半に行われるいかにも高知らしい催しのお話です。

香南市赤岡町で毎年4月の末に行われる「どろめ祭り」がそれです。

この辺りはどろめ、つまり鰯の稚魚が良く獲れることから、1959(S34)年に町の漁業祭として始められた祭りです。

どろめが日本酒とよく合うことから、地元の酒蔵が全面的に祭りをバックアップ、宴席が設けられると共に、余興として大杯飲み干し大会が行われています。

朱塗りの大杯に並々と満たされた日本酒を一気に飲み干すもので、その量は男性一升、女性五合と半端ではありません。

高知は成人一人当たりのアルコール類の消費量が四国一多く、全国的にも東京都に次ぐ2位となっているほどの酒飲み県です。 いごっそうやはちきんと形容される土佐人の豪快な気質にも大杯一気飲みは合っているのでしょう。

私も何度か間近で観たことがあるのですが、毎年酒豪が県内はもとより全国各地から集まり、行司役の「ぐーっと、ぐーっと!」の掛け声と共にその早さと飲みっぷりを競う姿には度肝を抜かれます。

因みに、今年(2008)の優勝タイムは男15.2秒、女13.8秒と、とても人間業とは思えません。[:キャー:]

とはいえ、酒の一気飲みには近年警戒感が強くなっており、主催者としても、参加者が急性アルコール中毒で死んだら大事、としてちゃんと手を打っています。

参加者は全員、事前に医師の診察を受けることになっています。その結果、心臓が弱かったり、血圧が高めだったりした場合はドクターストップがかかるのです。

また、飲んだものは所定の場所(トイレなど)で体内に残さないよう処理することも義務付けられています。

本当に酒豪と呼ばれるには、後の始末もきちんとできなければいけないようです。

コメント欄から 

○私はお酒は全く飲めない口なのですが、過去にどれだけ飲みすぎの介抱と後始末をしたか…

飲み会でも職場(過去のパート)でも、そしてお家でも^_^;

お酒に飲まれちゃいけませんね〜(実夢)

●言うまでもなく、この大杯飲み干し大会は自ら志願して参加するものです。

決して無理強いするものではありません。(うみがめ)

○一升酒ははるか昔になりました。今はせいぜい2合まで。

おいしい酒を飲めるようになってきましたかね。(poket)

●高知に来て「お酒をしょうしょうたしなむ」と言えば「少々」ではなく「升々」のことだ、とよく言われます。

それだけ大酒家が多いということでしょう。(うみがめ)

○私も若い頃は相当飲みましたが、今は弱くなってしまいました。酔うより先に頭が痛くなるので、それが限界ということにしています。女性の方が肝臓が弱いって聞いたんですが本当ですか?(りひりひ)

●一般的にはそうかもしれませんが、やはり個人差としか言いようがありません。(うみがめ)

○ 凄いな〜。私はぜんぜん、呑めないので、びっくりです(津熊照美)

●私も決して強いほうではありません。適量を味わうのがせいぜいです。(うみがめ)

○TVで見ました〜!

すごいですよね〜!!

1升を15秒って・・・

女の人は5合ですけど、それでも無理!!

こぼしながら飲んでる人もいたけど、あれはペナルティになるんでしょうか??(しーちゃん)

●確か半分以上こぼした場合には罰としてもう一杯飲まされる、と聞いたことがあります。間違っていたらごめんなさい。(うみがめ)  


丹波で味わうドイツの家庭料理(2008.05.17)

丹波氷上に出かけたのは、2003年の連休のことでした。

明石海峡から山陽道[:->:]中国道[:->:]舞鶴道を通って春日インターで降り、ここから更に40分ほど走ったでしょうか、人里離れた山奥に、小さなペンションがあります。

その名を「ヴァルトスチューベ モニカ」といいます。

ペンションのHP http://www.ws-monika.com/index.htm

外見いかにもドイツ風の建物ですが、それもそのはず、ここの奥さんはドイツ生まれです。

敷地内には、犬・猫・山羊などの動物が飼われていて、自由に触れ合えるようになっています。

ここでは日常の喧噪から離れて、ゆったりと過ごしてもらおうという考えから、人工的な音のするもの(テレビ・ラジオ…)は一切置いておらず、また携帯電話さえ繋がりません。自然の音を楽しんでもらうための配慮です。

室内にはアンティークな家具調度品が並び、それを見ているだけでも心が和みます。

昼間はレストランとしても営業しているこのお宿の自慢は、やはり本場仕込みのドイツ風家庭料理です。

夕食には、地元但馬牛のほか新鮮な魚介類をふんだんに使ったスープフォンデュが振る舞われ、朝食には手作りパンをはじめ、ハム・サラミソーセージ・チーズなどが楽しめます。

たまたま雑誌を見ていたところ、自然に囲まれた静かな宿としてここが紹介されていて、いつか行ってみたいねと妻と話していたのでした。

だからこの時は、1か月ほど前から宿に直接電話予約したのでした。

実際に行ってみて、私達もざわついた日常をしばし忘れることができました。

機会があればまた訪ねてみたいお宿です。  

 

追記(2015.06.14)

残念ながら、2012年時点で営業を終了しています。

コメント欄から 

○私も何度かペンションへ行ったことがあります。それぞれオーナーの趣味が生かされていて面白いですよね。たとえば伊豆ではビートルズファンのオーナーで絶えずロビーでは曲が流れていましたし、壁面にはレコードジャケットが並んでいました。また、あるオーナーの奥様はキルトが趣味で至る所に作品が展示されていましたし、べつのペンションではピアノが自由に弾けて楽譜もあったので、弾いたりしました。 

食事も楽しみですが、おいしかったり、まずかったり...いろいろでした。(ナナ)

●ペンションは家族経営の宿の中でも、洋風の構え(和風の構えが民宿)が特徴です。

仰る通り料理には当たり外れがあるもので、この前の年、兄の結婚式の翌日の宿として那須のペンションを利用したのですが、ちょっと外れだったかな(前日泊まったホテルと比べても)と思いました。(うみがめ)

○丹波は親戚、兄弟が住んでる所から比較的近いかも知れません。お薦めなら是非利用してみたいものです♪

ペンションはいくつか泊まったことあります。

最近では、西伊豆の土肥ペンション、その他は飯坂温泉の方とか軽井沢の方とか…

料理が美味しくて、心暖まる接客をされるペンションに出会うと旅が数倍楽しくなりますね♪

アットホームなペンションも、子供連れの私にはとてもいいです。(実夢)

●本当はここで紹介するのもどうかな、自分たちだけの隠れ宿にしようかなとも思ったのですが、やはりこうした情報を独り占めは良くないと考えて今回紹介した次第です。(うみがめ)

○隠れ宿 …いい響きですね(^^)

また新たな隠れ宿お探しになって下さいませね(実夢)

●最近はネット検索で宿をとることが多く、こうした隠れ宿にもなかなか行き当たりません。(うみがめ)

○いいですね。そういう静かな環境。テレビっ子の家族を持つとときにというかしょっちゅう息苦しいので、そんなペンションに行ってみたいです。(のんたん)

●高知市郊外にも「オーベルジュ土佐山」という温泉と食事を楽しむ小さな宿があるのですが、ここも自然の音を楽しむ為にテレビ等は置かれていないのだそうです。(うみがめ)

○人工的な音のない世界に、ドイツ料理・・・ステキですね。

こんな非日常をたまにはあじわいたいものです。

むか〜しドイツで食べたドイツソーセージやハムが懐かしいです。(liuring)

●そういえば、フランクフルトという地名を冠したソーセージもありますね。

ウインナーに比べ歯ごたえがあるように感じます。(うみがめ)

○ドイツ料理はやっぱりソーセージが美味しかったなぁ〜

隠れ家っぽいレストランとか素敵ですよね(かな)

●本当は、観光ガイドにも載ってなさそうな所にこそ本当のおもてなしがあるのかもしれませんね。(うみがめ)

○ペンションのWebページ見ました。

お食事のスープフォンデューが実に美味そうです。

ちょっと値段は高いけど(黄色いタカ)

●昼間はレストランとしても営業していますから、それを狙うのもありかと思います。(うみがめ)

○ドイツ料理いいですねー。

主人がドイツで勉強していた事もあり、時々ドイツ料理を食べに行きますよ〜!

私は、シュニッツェルが好きです。

主人は、昔ドイツで食べた白い生のアスパラガス料理が忘れられず時期になると、ドイツ料理を探し歩いてます。

最近は、わりと出回ってますが、ここならありそうですねー。

今度行ってみたいですねー。

そう、昔バイエルンシュターツオーパーが来た時日本では珍しかったドイツのパンを探した想い出があります。

リボンを編んだような形の、、名前忘れましたが懐かしいなー。

結局、横浜から取り寄せていました。

ドイツビールの本場でも、日本のビールは人気がありましたよ。

あれは、マイスタージンガーでした。

何だか懐かしい昔話になり、すみません!(さゆり)

●そうですか、それだけドイツに造詣が深かったのですね。私などは、ドイツ製の工業製品や音楽などを通じて「質実剛健」という漠然としたイメージを抱くのみです。(うみがめ)


すみれの花咲く町で(2008.05.18)

上記記事の続きです。

丹波氷上から高速で1時間ほど行った先にあるのが宝塚市です。

ここは言わずと知れた宝塚歌劇団の本拠地がある町で、手塚治虫が幼少期(5〜24歳)を過ごした町としても有名です。

その功績をたたえて1994(H6)年には市立手塚治虫記念館も建てられています。

ここでは、手塚の生涯やその作品の数々についての展示がなされていて、中でも彼のアニメ・コミック作品の殆んどを収蔵しているという資料室は圧巻です。勿論閲覧自由です。一日居ても飽きないのではないかと思います。

ただ残念だったのは、丁度ここを訪れた2003(H15)年は、彼の産んだ代表的キャラ・鉄腕アトムの生まれた年と設定されていて、当日(4月7日)にはその誕生シーンを再現していたのですが、それに立ち会えなかったことです。orz

奇しくもアトムの誕生日には、記念館に隣接する宝塚ファミリーランドも閉園、現在跡地には庭園・商業施設があるほか、関西(くゎんせい)学院初等部も2008年春開校したそうです。

その日の泊まりは、1926(T15)年からこの地で営業を続ける宝塚ホテルでした。

創業当時の建物も、旧館として今も残っているばかりか、今なお現役で使われているのがすごいです。

因みに、その分館として1929(S4)年に開業したのが六甲山ホテルですが、私達はこちらにも泊まったことがあります。

夕食ののち、バーラウンジに入ったのですが、女性専用(同伴男性は可)のバーラウンジを設けているあたり、さすが宝塚と思いました。

当時バーテンダーを務めていたのが、一見タカラジェンヌ風、実は元は北新地のバーにいた女性でした。宝塚歌劇の「宙(そら)組」と同じ字を書いて宙子(ひろこ)さんという方でした。

現在では、元タカラジェンヌがバーテンをしているそうですが…

宝塚歌劇まで堪能する時間はありませんでしたが、いつかその目的でまた訪ねてみたいです。

コメント欄から

○宝塚歌劇団は、海上自衛隊とも縁が深いですよ。

唯一歌劇団がお酒の席で歌うのは海上自衛隊の遠洋航海部隊の激励会においてのみだそうです。

いつか歌劇を劇場で観てみたいと思いますね。(防人)

●タカラヅカと自衛隊ですか、一見どこにも接点がなさそうですが、実はそんな御縁もあったのですね。(うみがめ)

○かつて、宝塚ジェンヌのある方のコンサートの仕事をしました。

男役のスターで、ものすごくかっこよく、爽やかで、可愛い性格でしかも、追っかけファンまで礼儀正しくびっくりしました。

私は、画像の中だけしか拝見した事がなかったのですがお会いしてみて、なお好きになるほど魅力ある人でした。

振り付けの宝塚の先生がいらしていたのですが、その方の体操が独特なんです。

仰向けに寝かせて、先生が両足を持ち左右に振るというもの。

上半身を楽にさせて、歪みをなくし、リラックスさせてました。

のちに金魚体操の機械が出ましたが、この先生の案だと思うな〜。

レッスンは厳しいけど、ファンを大切にするからこそだと思いました。

私も機会があれば、舞台をみたいです。(さゆり)

●漏れ聞くところによれば、ヅカファンは団員のニックネームまで正確に覚えているそうです。

顔と名前を一致させるだけでも一苦労と思うのに…

それだけ入れ込み方が半端ではないということでしょう。(うみがめ)

○宝塚ファミリーランドは自分自身が中学生の時に友達を行った思い出がありますが〜だんだん、遊園地も減っていくのですね。(津熊照美)

●やはり、レジャー業界(遊園地)は東のTDR・西のUSJの一人勝ち状態となっているようですね。(うみがめ)

○わ〜こちらの方にも来られたことあるんですね〜♪

六甲山ホテルは私も宿泊したことあります^^

落ち着いた雰囲気が大好きなんです!(ひらり)

●宝塚ホテルも六甲山ホテルも、古い洋館を思わせる佇まいが周囲の景観ともマッチしていて、私も気に入っています。(うみがめ)


歴史ある水の郷 (2008.06.22)

古くから水郷地帯として知られる潮来(いたこ)を訪れたのは、丁度小1の6月頃でした。

潮来は、古くから水運陸路の要所として繁栄してきた町で、その起こりは大化の改新の頃まで遡ります。この頃、国府(現在の石岡市)から鹿島神宮ヘ通じる駅路「板来の駅」が設けられ、その板来が元禄年間に潮来と書き改められたそうです。

江戸時代には奥州諸藩の物産を集めて江戸に向かう千石船が銚子河口から利根川にて潮来に至り、潮来で1〜2反帆の高瀬舟に積み荷の積み替えを行い、前川は行き交う大小の船で賑わい、荷の揚げ降ろしの船付場(河岸)が続き中継港として大いに栄えたとのことです。

しかし、元文年間(1735〜40)の大洪水によって、利根川の本流が佐原地方に移ると、潮来は中継港としての機能を失います。更に明治以降、常磐線開通など陸上交通の発達によって、水上交通は急速に廃れ、潮来の町も寂れました。

以来、目立った産業もなかったこの町では、地元の若い女性の収入源として、観光客の案内を兼ねて「サッパ」と呼ばれる櫓漕ぎ舟を出して漕がせました。それが観光客に好評だったことから、絣の着物に挿げ笠をかぶった彼女達「娘船頭さん」が全国的に知られるようになりました。

今でこそ観光客向けのサッパ舟も、かつては嫁入りの際、花嫁や嫁入り道具を運ぶのにも使われたといいます。その様子を歌った「潮来花嫁さん」という歌も有名です。(といっても今から40年以上前のヒット曲ですが)

 
さて、私が訪れた当時の潮来駅周辺は、はっきり言って殺風景でした。

それもそのはず、潮来へのアクセス鉄道である鹿島線の開通はその前年の1970(S45)年のことでした。駅から出るとすぐに娘船頭さん達の歓迎を受けました。

私が訪れた頃は丁度あやめの花が満開の頃で、舟が行き交う川沿いにもあやめが咲き誇っていた記憶があります。

ただ、サッパ舟の中にはこの当時から一部モーターで動くものもあり、ちょっと興ざめでした。私達家族は昔ながらの櫓漕ぎ舟で、前川に掛かる12の橋を巡る「十二橋めぐり」に出ました。

舟の上からは、この辺りに生息する鳥・ヨシキリの鳴き声も聞こえて来ました。

そんなのどかなサッパ舟で船酔いした人もいます。(実は私です[:汗:])

私達が彼の地を訪れて後の1976(S51)年には「前川あやめ園」が出来ており、丁度今位の時期には「あやめ祭り」が行われているそうです。

また前述の「…花嫁さん」と共に「潮来笠」の歌碑も建てられており、当時と比べ観光地としての整備も進んだようです。

 
その後鹿島神宮にも足を伸ばしました。

実は駅から歩いて10分の距離にあるのですが、なまじ駅の名前が「鹿島神宮」では、駅のすぐそばにお宮があると錯覚しても仕方ありません。

それと知らなかった兄は、「何でこんなに歩かされるんだ」とお宮に着くまでの間怒っていました。

今でこそ鹿島といえば「アントラーズ」を思い出す人が多いことでしょうが、その名のいわれは、鹿島神宮に住む鹿の角(英語でantler)から来ているそうです。

元々鹿島(鹿嶋)は高度経済成長期に臨海工業地域、とりわけ住友金属の企業城下町として栄えた町です。アントラーズもその住友金属のサッカー部として発足、やがてプロチームに発展しました。

茨城南東部は、母や兄が住む千葉北西部からも近いから、機会があればまた訪れてみたいです。

コメント欄から 

○そこは未踏の土地なので、このログでいろいろとわかりました。

鹿が多いという事で鹿島なんですね。(ナナ)

●鹿島神宮で飼われている鹿は、神の使いと位置付けられているそうです。(うみがめ)

○時は流れ去り、その時代の風物も人も変わっていくのですね。

だからこそ故郷には風情があるのですね。(ポッポ)

●当時、都内から潮来・鹿島までは確か急行列車で2時間以上かかりました。

その後特急に格上げとなり、所要時間も短縮されましたが、東関東自動車道の開通によりそちらが都内と茨城南東部の移動の主役に取って代わりました。

しかしどんなに時代が移ろうとも、あの時見た水郷地帯の風景は変わることはないでしょうし、変わって欲しくありません。(うみがめ)


歌姫を見守った大杉(2008.06.24)

「昭和の歌姫よ永遠なれ」(「音盤話」参照)の関連記事

昭和という時代を代表する歌姫は誰かと言われ、美空ひばりの名を真っ先に思い出される方は多いことでしょう。
6月24日は、そのひばりの命日に当たります。

彼女の功績を称えるモニュメントは各地に建てられていますが、実は高知にもあります。

四国山地の中央に位置する大豊町に、推定樹齢3000年を数え国の特別天然記念物にも指定されている、日本一の大きな杉の木があります。

大杉は実は2株あって、その2株が根元で合わさっていることから、別名夫婦杉とも呼ばれています。

つまり夫婦円満のシンボルでもあるのですね。

 
実はこの大杉は、少女時代のひばりにとって実に縁が深いのです。

レコードデビューする前の昭和22年(1947)、ひばりは旅芸人一座と共に各地を巡業していたのですが、高知県に巡業した際、ひばり一行が乗っていたバスが前方からのトラックと激突し側転、崖に転落しました。そのまま穴内川に落下すれば全員死ぬところでしたが、運よくバンパーが一本の桜の木に引っかかりました。

ひばりは左手首を切り、鼻血を流し気絶、瞳孔も開き仮死状態でしたが、たまたま村に居合わせた医師に救命措置をしてもらい、その夜に意識を取り戻したとのことです。

正に九死に一生を得た訳ですね。

一月半の療養生活の後、彼女は入院先の近くにあった大杉を訪ね、日本一の歌手になれるよう願をかけたとのことです。きっと自分はこの大杉の御加護で命拾いしたのだろう、そう思ったのでしょう。

それから5年後、14歳になったひばりは当時お世話になった方々への挨拶をかねて大豊町を再訪、日本一の誓いも新たに大杉に参拝したのでした。

ひばりの死から4年が経過した平成5年(1993)、大杉のすぐそばに遺影碑と歌碑が建てられました。

遺影碑は、吉野川源流の緑色岩で出来ており、再び大豊を訪ねた14歳当時のひばりの姿が写されています。

碑の前に行くと、ループコイルが反応して、彼女の代表曲である「悲しき口笛」 「川の流れのように」そして高知にゆかりの歌「龍馬残影」が自動的に流れるようになっています。

歌碑は、吉野川源流の純コウレン石で出来ており、「川の流れ…」の歌詞と楽譜があしらわれています。

また近くにある道の駅では、各種ひばりグッズの販売も行われていて、ファンならずとも注目してしまいます。

大杉に様々な願いを託し、また昭和の歌姫を偲ぶにはうってつけの観光スポットです。

コメント欄から 

○そういうエピソードは知りませんでした。

高校生のとき、部活の顧問の先生のお宅に新年会でお邪魔して、奥様がひばりファンで、多分紅白の再放送のニュースかなにかをテレビで見ていました。

私の周りの人たちにもひばりファンは多かったですね。

たしか横浜の魚屋さんのお嬢さんで、わたしがよく犬を散歩していた日野公園墓地にひばりさんのお墓が今はあるようです。

犬を散歩していた時はまだご存命中でした。(高校生のときでしたから)(ナナ)

●そうでしたか。

実はこの時の旅回り一座は、元は横浜の杉田劇場に出演していた芸人を中心に構成され、ひばりはその前座歌手だったそうです。(うみがめ)

○そういえば、杉田劇場、最近また復活したんですよ。(ナナ)

●そうでしたか、それは知りませんでした。(うみがめ)

○美空ひばりさんって、なんかすごいですね。

ひばりさん=「川の流れのように」「りんごのうた(題名忘れました)」しか思い浮かびませんが・・・(おだんごりん)

●貴方が仰りたいのは「リンゴ追分」ですね。

余談ですが、ひばりが再び大豊を訪れたのは、ちょうどこの歌が世に出た頃でした。(うみがめ)

○四国にそんな名所があるなんて知りませんでした。

てっきり京都嵐山の記念館だけかと思ってました…orz(猛獣使い)

●あと、これも晩年のヒット曲「みだれ髪」の舞台となった福島県・塩谷崎灯台の近くにも記念碑が建てられているそうです。(うみがめ)

○とてもドラマティックなエピソードですね。

まさに「歌姫伝説」という感じです。

「悲しき口笛」大好きです。(かぶ)

●「悲しき口笛」なら、確か母の実家にSP盤がありました。(うみがめ)

○わ〜、大切に置いてらっしゃるのですね。

SP盤、味わいがあっていいですね。(かぶ)

●いや、今もあるかどうかはわかりません。私が子供の頃には確かにあったのですが…(うみがめ)

○知りませんでした。

唄では「東京キッド」「私は街の子」が好きです。

焼跡に夢と未来、生きる明るい希望をくれました。(タナカ)

●それも初期の頃のヒット曲ですね。

1964年生まれの私にとってその当時のことなど知るはずもないのですが、歌だけは何故か知っているのはやはり親の影響かもしれません。(うみがめ)


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