うみがめ見聞録��


日本平は日本一!(2007.04.06)

子供の頃、春休みに1〜2泊の家族旅行に出かけるのが我が家の年中行事でした。遠出をするにも丁度いい気候だし、やはり色々な景勝地を見せる事で子供達の見識も深まる、父はそう思っていたのです。

その中から今回は、丁度私が幼稚園に入る手前の昭和44年春に出かけた静岡の思い出についてお話します。

2泊3日の1日目は、浜松駅で新幹線を下車、舘山寺(かんざんじ)に行きました。泊まりは2泊とも静岡市内の旅館でした。

2日目は、観光バスを使っての市内観光に出ました。

静岡駅から、まず静岡浅間神社に向かい、続いて静岡市内が一望できる日本平へ、ここからロープウェーを使って徳川家康を祭る久能山東照宮へと向いました。

ただ私の記憶では、ロープウェーではなくリフトに乗ったように思います。勿論、一人ではまだ危ないからと、父の膝の上越しでした。

日本平に戻り、ここから梅蔭寺(清水次郎長の菩提寺)、更に三保の松原(羽衣の松で有名)を巡る行程でした。

3日目は、弥生時代の暮らしを今に伝える登呂遺跡、更に久能山下のイチゴ狩りを楽しみ、帰京しました。

と、今ならこんなことも書けるでしょうが、何せ当時は幼稚園に上がる前、観光地を目の当たりにしてもこれといった感慨もありませんでした。

ただ、写真に示した観光バス乗車記念に頂いたフォノシートは時々聴いていました。

そこに収められていた説明によると、日本平とは、静岡市と旧清水市に跨る景勝地で、日本観光地百選で1位に輝いたこともある所です。丘陵地帯ですが、地元では有度山(うどやま)とも呼ばれ、標高308mの山頂からは、写真左(ジャケット写真)にあるように、正面に広がる富士山、伊豆半島や南アルプス、眼下に広がる静岡市街・清水港と駿河湾、と雄大な景色が広がっています。あの次郎長親分も「日本平は日本一だ」と絶賛したほどです。

説明に続いて日本平の観光PRソングが収録されています(写真右)が、これを歌う歌手の中に、あの島倉のお千代さんがいるのは少々意外な気がするかもしれません。当時既にスター歌手だった彼女も、求められればこうした仕事も受けていたのです。

コメント欄から

○ 久能はイチゴ狩りでしょうか・・。

大人になっていくと、東照宮もいいかもしれませんね。

三保の松原の先に、東海大学の海洋博物館があって、大人でも楽しめます。

子供が大きくなったら、いきたいところです。

生桜海老のかき揚げ・・・も食べたいし・・・。(Colour)

●静岡市内には、大人になってからは行ったことがありません。

しかし浜名湖の近くには、2004年に行われた花博を見物する為に行ったことがあります。(うみがめ)

○母が静岡出身なので、昔住んでいました。なつかしいです。3、4才で東京へ越してきましたが夏休みなどに静岡へよく行きました。『登呂遺跡』へも叔父につれていってもらいました。浜名湖花博へナナもいきましたよ。

うなぎのおいしいお店でたべてきました。うみがめさんも『モネの庭』へ行かれたのですね?(ナナ)

●本当はそれも狙っていたのですが、会場は思いのほか広く、それに団体ツアーで時間も限られていた為、そこまでは観られなかったと思います。(うみがめ)

○日本平方面は亡くなったおばあちゃんと行った記憶があります。

フォノシート懐かしいですね。 よくいろんなイベントとか雑誌 の付録にもなっていました。

島倉千代子さんはボランティア でもいろんな活動をされてます。 その姿勢には感心させられますよ。

ご病気になられてから声にハリ がなくなったのは残念ですけど いつまでも歌手であって欲しい です。(防人)

●フォノシートはその薄さゆえ、どうしても聴き捨てになりがちですが、これは旅の記念でもあることから大切にとっていました。

今でもCDの形で配布されているのでしょうか? (うみがめ)

○館山寺ということは遊園地「パルパル」も行ったのでしょうか。私は小学校のときに行ったことがあります。  

日本平はうみがめさんがおっしゃる通りのところですが、今は私には「静岡県の民放テレビの本局のあるところ」というイメージが強くなってしまいました。(かじか)

● そのような名前だったかは忘れましたが、確かに遊園地に行った記憶はあります。

日本平に限らず、函館山や長崎の稲佐山といった景勝地には、テレビ各局の送信塔が建ち並んでますね。(うみがめ)

○日本平は景勝地であり観光バスも よく見かけますね。

地元なので女子サッカーなどを日本平で観戦したなどは、 そのままスタジアムから山頂までバイクを走らせるのが 楽しいです。

Jリーグの開催されているときは通行規制で 山頂まで行けなくなるのですがね。

山頂から見る旧清水市方面と駿河湾、 そして富士山の取り合わせが絶景です。

日本平デジタルタワーはシルバーカラーになって景観を損ねない色になっているのですが、アナログタワーの紅白の色合いも昭和を感じさせる趣がありますね。 (田中のぶあき)

●確かに、日本平パークウェーと言われる山道は、地元ではちょっとしたドライブコースになっているようですね。田中さんのようなバイクツーリスト党にも堪らないでしょう。

アナログの送信塔は各局個別でも、デジタルのそれは各局共用ですか。これも経費節減のためでしょう。 (うみがめ)

○ うみがめさんの書かれているところは私も行きましたよ、行っていないのは浜名湖パルパルだけです。日本平、景色いいですよね、クネクネ道は嫌いですが・・。車酔いがひどかったです。 (ざしき)

●私もどちらかと言えば車酔いを起こしやすい体質です。 ただ、日本平パークウェイを走行中にそれを起こしたかについては、覚えていません。(うみがめ)


長崎は今日も晴れだった(2007.05.03)

今回は2001年、新婚の頃の私達夫婦がGWを利用して長崎を訪れた時の印象を。

福岡までは空路、そこから特急列車でまず向ったのは佐世保でした。

市の郊外、大村湾に面して展開する「ハウステンボス」が初日の目的地でした。

ハウステンボス(Huis Ten Bosch)とはオランダ語で「森の家」のことで、ここは単なるテーマパークではなく、オランダの町並みを忠実に再現し、別荘地としての分譲もなされている滞在型のテーマパークと言った感じでした。この辺りの住居表示も「佐世保市ハウステンボス町」となっているほどです。

本当は園内のホテルが取れれば良かったのですが、何分人出の多い時期、それは取る事が出来ませんでした。とはいえ、夕食にはディナークルーズ船を利用、船が港に戻る頃には花火も打ち上げられるなど、いい雰囲気の夜を過ごしました。

2日目は、佐世保市内を散策して後再びHTBへ、夕方には長崎市内へ移動しました。

市内を一望できる稲佐山からの夜景を見るためです。

かつて見た函館山からの夜景に負けず劣らずの絶景でした。

夕食は思案橋の近くでちゃんぽんを頂きました。 お土産としては、これも外せないカステラや鼈甲細工も購入しています。

3日目、長崎市内観光の為タクシーを利用、大浦天主堂‐グラバー園‐出島‐原爆資料館‐平和公園と駆け足ではありましたが見て回る事が出来ました。更にそのタクシーは福岡空港まで運んでくれました。

長崎市内を回ってみての感想は、坂の町と言われるだけあって、やはり坂が多いということでしょうか。その為自家用車では動き難いと言う事でしょうか、路面電車が今も重要な市民の足となっているのも判るような気がします。

私が長崎に滞在している間、雨は殆んど降りませんでした。だからタイトルも「…雨だった」にしませんでした。  

コメント欄から

○HTBっていうと違うことを思い出しますが・・・(って北海道事情とハウステンボスとの両方を知ってないと意味が分からないですね。)

私自身はまともに長崎県で遊んだ経験はないのですが、10年前に九州じゅうを回ったときにちょこっと寄りました。「かもめ」で長崎県入りし、長崎駅に着いて5分で折り返しの別ルートの普通列車に乗車。平日の朝でしたが、停まる駅毎に列車へ普通にシスターさんが乗り込んでくるのがいかにも長崎県らしい感じでした。諫早で大村へ寄るか島原へ直行するか悩み、結局島原へ行ってそこからフェリーで三角へ抜けたのですが、島原港で「噴火まんじゅう」を売ってたのには驚きました。たぶんお燗と同じ方法で、ひもを引っ張ると蒸気が出て蒸しまんじゅうになるんです。火砕流であれだけの被害が出た地域なのに、何とたくましく生きてるんでしょうか。  

この期間中も雨が降りませんでした。  

島原鉄道にはその先に乗ってないのですが2008年廃止されたようですね。  いつかは私の彼女が長く暮らした松浦鉄道沿線も訪れてみたいですね。(かじか)

●もう一つのHTBとはHokkaido Television Broadcasting(北海道テレビ放送)ですね。今は全国的にも「水曜どうでしょう」の制作局として有名ですが…

そうですか、島原鉄道も廃止ですか。ここも多くの赤字ローカル線の例に漏れず経営難に喘いでいたのでしょうか…(うみがめ)

○島原鉄道は島原外港から先が廃止されたそうですが、やはり1991年の噴火からの復興で多額の費用がかかったからだそうです。地元自治体が支援すれば回避できた廃線かもしれません。(かじか)

●自然災害の爪痕は想像以上に深いものがありますね。(うみがめ)

○稲佐山の夜景は ほんとにキレイですよねぇー(≧∇≦)キャー♪

私も1回しか行った事ないけど ほんとにキレイだったことだけは しっかり覚えています、ハイ!(バンビ)

●稲佐山から望む夜景は、函館山、そして神戸・六甲山(摩耶山)掬星台と並ぶ日本三大夜景の一つに数えられています。 港町である事、国際色豊かな町であることが共通点ですね。(うみがめ)


 岩手を愛した詩人達(2007.05.17)

セロ弾きのゴーシュ (新潮CD)

智恵子抄より (新潮CD) 

一握の砂 (新潮CD) 

皆さんは、修学旅行の思い出といえば何がありますか?

名所旧跡を尋ね、その土地の暮らしや文化に触れ、自らの見識を深める、あくまでも校外学習の一環ですから本来はそれが目的のはずですが、実際には引率教師の目を盗んでは明け方近くまで談笑する、時に羽目を外して騒ぐ、そちらのほうが印象に残っている人も多いでしょう。

この私とてその例外ではありません。

今回は、函館の中学での修学旅行について当時を少し思い出しながら綴りたいと思います。

丁度中3当時、五月の中ごろのことでした。

私達の中学では、修学旅行の目的地は大体北部東北に行くことが多く、我々の学年も、平泉(毛越寺、厳美渓、中尊寺)と十和田・八幡平が主な目的地でした。

ただこれだけでは、単なる物見遊山と変わりません。

実際私も、これらの観光地に足を運んだのはこれが初めてではありませんでした。平泉は小2、十和田も中1の時家族で訪れて以来でした。

今回は修学旅行ですから、いかにも校外学習らしい目的地も随所に散りばめられていました。

南部鉄器の工場もその一つでしたが、特に岩手を愛した3人の詩人達にまつわる資料館を観て回ったのが印象的でした。

一人目は宮沢賢治。故郷の原風景を生かした詩や童話で今日では有名ですが、その作品の多くは彼の生前は殆んど認められませんでした。もしかしたら、そのストレスが彼の死期を早めたのではないか、と思われてなりません。

二人目は高村光太郎。彼自身は東京の生まれですが、一時期花巻に住居を構えていた事があり、記念館には当時の住居がそのままの形で残されていました。

我々の中学の当時の校長が彼を尊敬しており、その代表作「道程」の一節(僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る)を折に触れて説いてきたのですが、そんな校長の意向が反映された目的地ではなかったか、と思いました。

三人目は石川啄木。函館とも縁の深い人物ですが、彼の生育地である旧渋民村には、かつて代用教員をしていた小学校も、当時の下宿先も保存されていました。

なお、それぞれの代表作を収録した朗読CDを上記リンクで紹介しています。

家族旅行では絶対に行かなかったであろうこれら3人の資料館を見て回れた事が、修学旅行最大の収穫だったように思います。

コメント欄から

○当時引率された校長先生は敬虔な方のようですね、東北は蝦夷、エミシの棲む北海道と比肩しうる文化圏ですもの。

宮沢賢治はエスペラント研究も行なっていましたね。(橋本龍)

●宮沢賢治による造語「イーハトーブ」も、岩手をエスペラント語風に言い換えたものだと言いますからね。 (うみがめ)

○昔の修学旅行は確かに「修学」という要素が多かったですが、今の中学校はネズミーランドみたいな娯楽施設にただ遊びに行くだけのようにも見えます。そこがちょっと残念です。(ポン太)

●それも、もっともらしく理屈を付ければ、「異文化体験及び世界史の勉強が目的」と言うことが出来ますが…(うみがめ)

○東北へはあまり行った事がありませんが、回りに出身者がいます。 なまりを聞くとあたたかい雰囲気に包まれますね。 また、いい人が多いんですよ〜。 東北訛の変な外人もテレビに出てますね。(^O^)(さゆり)

● 私は一時期仙台の近郊にも住んでいたから、東北地方の気候風土も結構気に入っています。 いかにも純朴なところがいいですね。 (うみがめ)

○懐かしいですね。

チュウボウ(函館ではガクチュウと言っていました)の分際で、ワルガキ連で夜中に11pmを見ようとテレビをつけたところを先生に見つかって、はずかしかったなー。

みんなどうしてるのかな。

宮沢賢治の資料館を訪ねたのは忘れていました。しかし数年前、家族で遠野を訪ねた折に立ち寄り、感銘を受けました。

生前の宮沢賢治は実は農村の生活と文化の向上に腐心したリーダーで、収穫近い時期に作物に与える石灰資材を販売する会社なども作り、いつも村の人々の心配をしていた人のようです。そうした実像を、文学とビジネスを切り離して考えたい既存出版社は好まないらしく、なかなかそのことが伝わらないようです。

「僕の前に道はない……」朝の集会で何度も聞かされましたね。これも懐かしいなあ。確か同じ校長だったと思いますが、先生は亀井勝一郎の「人生邂逅し開眼し瞑目す」もお気に入りでした。亀井は私好きじゃないんですが、この言葉は好きです。

石川啄木の学校は覚えています。天板を上げて道具を入れる机を見て、なるほど、これでは内職、早弁は難しかろうと思いました。

十和田湖でヒメマスの養殖の話を聞きましたね。あのとき、他のサケの仲間は故郷の川の臭いを覚えていて、海を回遊した後、生まれた川に戻ってくると教わりました。施設から帰る途中、理科が専門の我々の担任の先生に、「では、どうして同じ一つの川ではなく、複数の川にサケが広がっていったのでしょう?」と尋ねたら、「うーん。わからない」との答え。先生にも知らないことはあるんだと、たいへん感心したのを覚えています。

でも、いちばん楽しかったのは、連絡船と一緒に飛び跳ねながら泳ぐイルカをみんなで見たことかな。あれにもう乗れないのが残念です。(齋藤訓之)

●そうか、青函連絡船のデッキからイルカが見られたのですね。 高知ではホエールウォッチングの為漁船をチャーターする事もありますが、函館でもドルフィンウォッチングの船を出せばいいのにね… それで思い出したけど、函館のコミュニティーFMは「FMいるか」、高知のそれは「ホエールステーション」と言うのも何か因縁めいていますね。(うみがめ)


旅の楽しみと言えば…(2007.05.18)

「鉄道連絡船(「乗り物談義」参照)」の関連記事

上記記事「岩手を愛した詩人達」の続きです。

旅の楽しみと言えば、私にとっては移動の際の交通機関と宿、更に旅先で食するご当地グルメがまず思い浮かびますね。

それは修学旅行でも同じ事、そこで今回はそれぞれについて見ていきましょう。

まず乗り物。前回の記事のコメントにも出てきたように、行き帰りには青函連絡船を使いました。(以下元記事を引用)

座席は、航路の短い宇高が椅子席のみだったのに対し、長い青函は椅子と絨毯敷きの座敷が半々でした。修学旅行のときは公平を期すため(自分のクラスでは)行きは座敷、帰りは椅子を利用しました。ただ、自分達で利用する時は専ら座敷だったと思います(そのほうが楽だから)。
当時の日記を引っ張り出して見ていたら、行きの船内では船の操舵室を見学、帰りは天候不順でかなり揺れた、と書いてあり、ああ、そういえばそうだったなと懐かしく思い出しました。

青森から旅のお供をしたのは団体貸切のバス(弘南バス)、私達のクラスが利用した車に乗務したガイドさんは太田裕美似の美人でした。初日は殆んど移動だけでしたが、このガイドさんのお陰で退屈せずに済みました。

修学旅行で利用した乗り物はこれだけかと思っていたら、実は4日目に十和田湖観光遊覧船にも乗っていました。ただ、これについては実は記憶から飛んでいて、当時の日記に書いてあったのを読んでようやく思い出しました。

初日・2日目の宿は、花巻市郊外の温泉旅館「愛隣館」でした。他に同宿者はなく、事実上我々の中学の貸切状態でした。

その為でしょうか、2日目の夜は夕食後に「学級発表会」をやりました。

それに先がけ、郷土芸能「鹿踊り」が披露されました。これは、空也上人が、猟師の倒した鹿の供養をしたのが起源とされるもので、南部地方の盆踊りや秋祭りの定番となっています。

クラスごとの出し物は、寸劇やゲームなどで、始めのうちは結構面白く、みんな集中して観ていましたが、後半ともなると、ややだれてきました。でも最後の出し物で、この学年でも1・2を争う芸達者が登場し、ちゃんと締めてくれたのはさすがでした。

3日目の昼食は、八幡平にある「ライジングサンホテル」でカレーライスが出ました。

しかし何分400人を越える大人数、そのためか、出されたのはどうやらレトルトもの、しかも冷めていたせいか、あまり美味しくなかった記憶があります。

その後バスはアスピーテラインを通って十和田湖に向ったのですが、その途中は5月というのに雪景色でした。

その日の泊まりは「十和田湖グランドホテル」でした。  


北の大地を熱くする祭り(2007.06.06)

毎年6月初旬、北の大地・北海道を熱くする祭りがあるのをご存知でしょうか?

それが、YOSAKOIソーラン祭りです。

高知で既に半世紀以上続けられている「よさこい祭り」の迫力に魅せられたとある北海道在住の学生が、こんな祭りを是非北海道でもやってみたい、そう考えて仲間を募り、1992年に始められました。だから、まだまだ歴史の浅い祭りです。

その第一回は、参加者1000人、観客20万人と小規模でしたが、年々参加者は増加の一途を辿り、2005年には参加者43000人、観客動員214万人余りと、本家のよさこいを遥かに上回る規模の祭りに成長しています。因みに本家高知は参加者約2万人、観客動員も高知県の総人口が約80万人であることから、100万と言う単位ではないことは確かです。

祭りのあらましは、1チーム40〜150人の踊り子隊が、地方車と呼ばれる装飾の施された車(音響機器も備える)を先頭に、市内を踊り回るというもので、両手に鳴子と呼ばれる鳴り物を持つ事、曲にソーラン節のフレーズを入れる事が決められている以外基本的に振り付けも衣装も自由です。

地元企業や子ども会によるチームのほか、セミプロと言っていいチームも多数参加しています。 審査によって上位に出て来るのもこうしたチームと言っていいでしょう。

審査の結果上位となったチームのみが最終日のコンテストに参加できます。

恥ずかしながら、私はよさこいの本場に住んでいながら、それまでYOSAKOIソーランを直接観たことがありませんでした。ようやく2006年、最終日に行われる「ファイナルコンテスト」の模様がテレビ(BS朝日)で生中継されたことで、じっくり観る機会に恵まれました。

その本家を上回るパワーには、ただただ圧倒されるばかりでした。

是非一度、間近で観てみたいと思いました。

とはいえ、その原点は純粋に祭りを楽しもうという所にあったはずが、最近はコンテストで上位入賞(というよりはっきり優勝)することのみを目的にしているチームもあるようで、本家のように観光客の飛び入り参加も歓迎するようなオープンな部分は余り感じられませんでした。

コメント欄から

○ 毎年津の祭りには、北海道はじめ各地からよさこいの人がやってきて、1日中楽しめますよ。

かっこいいんですよね。

祭りのときはどれだけ忙しくても休んで、ヨサコイめぐりします。(poket)

●今や「よさこい」も全国各地に飛び火して、その土地土地で様々な展開を見せていますね。(うみがめ)

○本場はすごいのでしょうね

自分はうちのお子が 運動会とかで毎回 踊っているのを見てるだけですけど けっこう迫力ありますね。(NON)

●高知あたりでも、夏祭りの定番としてよさこい鳴子踊りは各地で踊られています。(うみがめ)

○娘も体育祭でソーラン踊ってたけど 結構ハードだよね。(かな)

●確かにあれは、見た目以上にハードだと聞いたことがあります。

最終日には皆完全燃焼というのも納得です。(うみがめ)

○よさこいソーラン、2003年ごろにですが見たことがあります。札幌に住んでいたので、娘は一歳にもなってなかったころに、抱っこして見に行った覚えがありますね。

余りの人の多さにびっくりして、娘の機嫌が悪かったです。(ざしき)

●確かに、あれだけ人出が多ければ人いきれも激しく、小さな子供が機嫌を損ねるのも無理はありませんね。(うみがめ)

○YOSAKOIソーランって、始まったエピソードに触れる度に、よさこいを元にしつつもオリジナルなものを立ち上げようとしたことやそのまちおこしぶりなど、つくづくすごいなーと思います。  

各地に似たようなイベントが出来ましたけど、完全にYOSAKOIソーランのパクリにしかみえません。もちろん名古屋のどまつりもそうです。 (かじか)

●そのYOSAKOIソーランも、実は一時期青森ねぶたで、一部のハネトと呼ばれる踊り子達が暴徒化した為に、彼等のエネルギーのはけ口として企画された、という説もあるそうです。

まあ、私に言わせればそもそもYOSAKOIソーラン自体が高知のよさこいのパクリですが。(うみがめ)

○なるほど、津軽のはけ口ねえ。

そういえば高知のよさこいと違ってロック基調が多いですね。

むろん元祖は高知よさこいですが、YOSAKOIソーランのパクリに比べれば、YOSAKOIソーランのほうがはるかにオリジナリティありますよ。 (かじか)

●これはテレビ番組にも言えることですが、つまりオリジナルを真似た二番手までは世間的にも受け入れられるが、その二番手を更に真似た物は単なる模倣としか見なされない、ということですね。(うみがめ)


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