音盤話��
「朝日ソノラマ」が、2007年9月限りで廃業したというニュースを、ある種の感慨をもって聞いた人も少なくないでしょう。
元々この会社は、1959(S34)年に、朝日新聞の関連会社「朝日ソノプレス」として創業、ニュース記事を含むさまざまなトピックに、その現場などを録音したテープ、あるいは音楽などをソノシート盤として収録し、「音が出る雑誌」という触れ込みで「朝日ソノラマ」なる雑誌を発行していました。ソノシートは、音質こそ普通のレコードに劣るものの、廉価で長時間再生も可能な為、高価なLP盤に手を出せない客層に喜ばれました。
やがて同業他社も相次ぎソノシート事業に乗り出しますが、「朝日ソノラマ」は景気の向上とテレビの普及が影響してか、売上が低迷します。
そこで1960年代の中頃、内容を児童向けに方向転換、テレビアニメや特撮ドラマなどの主題歌や物語を収録したものへと変化していきます。
この当時、子供向け番組の主題歌は音楽出版社から各レコード会社に音源が貸し出されるケースが多く、そのために朝日ソノラマ(1966年社名変更)及び競合各社は、同じ音源を用いたレコードやソノシートを競って発売していました。
しかし、1970年代になると、普通のレコードの普及が進み、ソノシートメーカーの多くが撤退や倒産に追い込まれます。そんな中朝日ソノラマは、ソノシートの盤質をやや硬くしたシートの開発で音質向上に努め、また一時普通のレコードの生産も手掛けましたが、売上UPの決め手にはならず、1980年頃にはレコード事業から撤退しました。
その後は出版社として「ソノラマ文庫」などを刊行していましたが、2007年の6月に廃業を決め、既存の出版物については朝日新聞が版権を引き継ぐ事となりました。
写真は、子供向け主体になる前の朝日ソノラマから出版されていた「映画音楽」です。
昭和36(1961)年10月の創刊、同39年7月まで発行されていましたが、同37年6月からはステレオ盤となっています。
写真左が昭和38年12月号、右が同39年1月号ですが、実はこれらは元々我が家のコレクションだった訳ではありません。
東京に住んでいた頃のお向かいの家が所有していたものでした。
そこの家のご主人が昭和47年に亡くなり、その遺品を整理する中で、彼が愛聴していたレコードを「もううちでは聴かないから」と言って譲り受けたのですが、その中に入っていたのがこれらでした。
表紙に写るのは、左がオードリー・ヘプバーン、右がクラウディア・カルディナーレです。
解説書を読んでいると、湯川れい子さんや、高崎一郎さんといった今でもご活躍の方がコラムを書いており、それを読むだけでも時代の空気を感じずにはいられません。
今となっては、これらも我が家の大事な宝物です。
ニューヨークからピアニストがいなくなる?(2007.09.30)
FUJITSU PRESENTS 100 GOLD FINGERS〜PIANO PLAY HOUSE 2001〜

「FU・JI・TSU」(「うみがめ波瀾万丈・成年編」参照)の関連記事
金曜日の夜にはジャズコンサートに出掛けていたからで、そのコンサートとは、偶然にも富士通の協賛事業である"100 gold fingers"という、10人のピアニストを中心とするものでした。
四国では高知のみでの開催でしたが、それだけ耳の肥えた音楽ファンが高知には多いのでしょう。
その会場でも販売されていた過去のライブ盤の中から、2001年の東京・簡易保険ホールでの演奏の模様を収録したものをご紹介します。(詳細は画像クリック)
"100 gold fingers"とは、1990年にスタートした日本独自の企画で、ニューヨークのクラブオーナーからは「NYからピアニストがいなくなる」という声が聞かれるほど、その顔ぶれも充実しています。
第7回となった2001年は、初回から参加しているジュニア・マンス、ケニー・バロン(この二人は2007年も参加)、レイ・ブライアント(2007年は不参加)をはじめ、これが初参加となったマル・ウォルドロン、ドン・フリードマン、ジェームス・ウイリアムス、ジェリ・アレンなどの10人が参加、それぞれの妙技を披露しています。
演奏曲目も多岐にわたっていて、日本古謡「とおりゃんせ」がブルース調にアレンジされて出てきたり、映画主題歌「慕情」や「黒いオルフェ」がベースとドラムを従えたトリオで演奏されたり、「時には母のない子のように」(黒人霊歌。寺山修司作詞の歌とは同名異曲)をしっとりと聴かせたり。
終わり近くには、その年の3月に亡くなったジョン・ルイスを偲んで「ジャンゴ」がレイによって演奏され、そして最後は出演者全員による「A列車で行こう」(これは毎回の恒例)が演奏され、会場の興奮も最高潮に達します。
ジャズ通の方にも、初心者の方にも、きっと満足できる内容かと思います。
心和むジャズボーカル(2008.09.09)
スウィーテスト・サウンド~アート・オブ・ラウンジ vol.1&2

上記記事で紹介した"100 gold fingers"は、おおよそ奇数年の開催となっていますが、その間に当たる偶数年にも各地を巡回するジャズコンサート「ジャズ・エリート」が開催されています。
2008年は5月27日の高知を皮切りに6月8日の東京まで、全国10会場で行われたのですが、そのときに出演していたミュージシャンの一人が、今回ご紹介するジャネット・サイデルです。
シドニーに生まれ、オーストラリアを拠点に活躍する彼女は、そのソフトな歌声と粋なピアノスタイルで、1992年のメジャーデビュー以来、出すアルバムがどれもベストセラーを記録しています。日本にもファンが多いことから、今回の来日公演が実現したそうです。
そのレパートリーは幅広いのですが、中でも歌う映画スターとして知られるドリス・デイを尊敬しており、2002年には彼女に捧げたアルバムも発表しています。それを聴いて感激したドリスから「シークレット・ラブ」の楽譜が贈られたという逸話もあるくらいです。
今回のコンサートも「ドリスに捧ぐ」と銘打たれており、それだけ深い思い入れがあるのだな、とわかります。
御紹介する2枚組CD「アート・オブ・ラウンジ」(詳細は画像クリック)にも、「センチメンタル・ジャーニー」「キサス・キサス・キサス」など、ドリス・デイの歌唱でも知られる曲が収められているほか、スタンダードジャズ・ラテン・ボサノバなどその選曲は多岐にわたっています。
ここではあまり力みすぎず、自然体で歌っており、それこそバーラウンジ辺りで雑談を交えながら歌っているような印象を受けます。
だから決して身構えることなく、リラックスした雰囲気で聴くことができます。
一日の終わりに、グラスを傾けながら聴いてみてはいかがでしょう。
ブラームスはお好き?(2007.10.06)

女性を口説くときに「ああ、この人はロマンチストだわ」と思わせる口説き文句がある。
それは「ブラームスはお好きですか?」
これを真に受けた私は、ある時、当時付き合っていた彼女(≠今の妻)に対してこれを実践しようと、早速使いました。
すると、こんな答えが返ってきました。
「ええ、好きですわ。あれは剃り残しなくよく剃れますわね」
おいおい、それはブラウンだろっ!!
とんだ落とし話で失礼しました。
でも、ブラームスと言えば後期ロマン派を代表する作曲家として有名ですね。
そんなロマンチストとしてのブラームスを堪能できる作品の一つが今回ご紹介する「バイオリンソナタ第3番」です。
彼が生涯に残したバイオリンソナタはこれを含めて3曲ありますが、この第3番はどこかロマンチックな憂愁に被われています。それは、この曲を作曲していた1887年に親友の死に接したことで、彼の心の中に深い影を落としたのではないかと言われています。
3曲の中ではこの第3番が最も有名ですが、それはこうした深い叙情的な美しさが色濃く現われていることが大きな原因ではないでしょうか。
演奏は、旧ソ連・ウクライナを代表するソリスト、ダヴィッド・オイストラフ (1908-74)とスヴャトスラフ・リヒテル (1915-97)です。
家にある古いレコードには単に「バイオリンソナタ」ではなく「バイオリンとピアノのためのソナタ」と書いてありますが、これは曲の成り立ちがバイオリンが主・ピアノが従というわけではなく、バイオリンとピアノが対等な立場で競演しているからにほかなりません。
この傾向は、カップリングとなっている、ブラームスと同じ時代を生きたフランスの作曲家・フランクのバイオリンソナタにより顕著に出ています。(画像はCD化されたもの)
このレコードは、1968年12月にモスクワ音楽院大ホールでのコンサートを収録したライブ盤ですが、最後に聴衆の割れんばかりの拍手が収められている以外、演奏中のノイズが殆ど混じっていません。それだけ人々は、この世紀の演奏を息をのんで聴いていたのでしょう。
ドラマの名場面が甦る(2007.10.19)
かつて、映画全盛期といわれた1950年代には、映画とタイアップしたヒット曲が量産されました。その後時代は流れ、60年代にはテレビが娯楽の主役の座につきましたが、テレビドラマとタイアップしたヒット曲が量産されるようになるのはやや遅れて80年代以降のことです。
丁度この頃、「ザ・ベストテン」や「トップテン」といったカウントダウン形式の歌番組が全盛期を迎えていましたが、そうした番組を通じてもタイアップ曲は放送局の枠を超え、頻繁に流されました。
今回ご紹介するのは、そんな80年代後半から90年代にかけての記憶が鮮やかに甦るであろうCDです。
kiss~dramatic love story~
(詳細は画像クリック)
90年代ドラマの最高傑作と言っても過言ではない「東京ラブストーリー」からの「ラブ・ストーリーは突然に」に始まって、「101回目のプロポーズ」から「Say Yes」、「あすなろ白書」から「True Love」と、月曜の夜に世のOL達にテレビの視聴習慣を根付かせた作品がまず続きます。
その後も、懐かしいところでは「金曜日の妻たちへ��」から「恋におちて」あるいは「男女7人秋物語」から「Show Me」、比較的最近のところでは「やまとなでしこ」から「Everything」と、どれを聴いてもドラマの名場面が脳裏に甦ってきそうな内容になっています。
勿論ドラマを離れて純粋にあの時代のヒットパレードとして聴いて下さってもいいでしょう。
通常この手のコンピレーションアルバムでは、特定の放送局や時間枠に拘ったもの、あるいは特定のレコード会社の音源のみを使ったものが多く出回っているのですが、このCDについてはそうした枠を全て取り払った選曲になっているのも好感が持てます。
シューベルトを極めるピアニスト(2007.10.26)
アルフレッド・ブレンデル(Pf)/シューベルト: ピアノ五重奏 イ長...
「私が出会った偉人伝」(「うみがめ波瀾万丈・少年編」参照)の関連記事
作曲家フランツ・シューベルト。
そのシューベルトに特別な思い入れを持つピアニストとして知られるのがアルフレッド・ブレンデルです。彼は31年余りの短い生涯の間に、1000近くの作品を手掛けたと言われています。
13歳で作曲を始めたにしては、やたら作品数が多いように感じますが、それは次から次に曲想がひらめき、一つ作品が仕上がるとまた次を始めたからに他なりません。時には、レストランで料理を待っている間に曲想がひらめき、手近にあったメニューの裏に譜面を書いたということもありました。
彼はソナタなどピアノソロ作品に留まらず、室内楽曲や歌曲といったコラボ作品でも、その熱心な研究心と愛着の成果を聴かせています。「系統だった経験が得られるように、一定の期間を通じて、主に一人の作曲家に専念したい」というその真摯な取り組みが、演奏姿勢にも現れています。
今回は、そのブレンデルがクリーブランド弦楽四重奏団と共演したピアノ五重奏曲「ます」を取り上げます。
普通ピアノ五重奏とは、弦楽四重奏(2つのバイオリン、ビオラ、チェロ)にピアノが加わった編成となっていますが、この曲では第二バイオリンに代えてコントラバスが使われています。その重低音の響きがピアノともマッチして、音楽にのびやかなゆとりを添えています。清冽な水の流れ、輝く陽光、爽やかな風など、この曲が作られたオーストリア北部の町・シュタイアーの風光明媚な自然が目に浮かぶようです。
タイトルのいわれは、第4楽章の主題に同名の歌曲のメロディーが使われているところからですが、ここではその「ます」の主題が5種類に変奏されています。
ピアノが主旋律を奏でたり、弦楽セッションが主旋律を奏でたりと、この曲ではピアノが主役にも脇役にもなるのですが、ブレンデルはどのような状況でも自分の立ち位置はどこか、常に音楽全体を見渡してそれを巧みに見極めているように感じました。
よく、ピアノの名手が必ずしも室内楽の理想のパートナーとはなり得ないと言われますが、それはその人が独奏に慣れている為に音楽全体を見通すことに疎いからに他なりません。
カップリング曲は、画像のCDでは弦楽四重奏曲「死と乙女」となっていますが、手持ちのCDでは「即興曲集」(作品90)となっています。「ます」に続いて即興曲集を聴いていると、やはりブレンデルはソロでもコラボでも強い存在感を示しているということを改めて認識させられます。
こんな楽器もアルパ!(2007.11.09)
皆さんは、アルパと言う楽器をご存知ですか?
スペイン語のハープを語源とするこの楽器、別名ラテンハープと言われるように、元々はスペイン人がラテンアメリカに持ち込んだもので、パラグアイ・ペルー・メキシコなど中南米各地で広く親しまれています。
グランドハープ(オーケストラで見かけるもの)よりも小型でペダルがなく、持ち運ぶ事も比較的容易です。36本の弦は長音階に調弦されており、半音を出す為にはジャべ(一種のキー)と呼ばれる器具を使いますが、このジャべの使い方にも演奏者の個性が現れると言われます。
そのアルパ演奏の我が国における第一人者が、今回ご紹介する上松美香(あげまつ・みか)さんです。
1982年、長野県に生れた彼女は、やはりアルパ奏者だった母親の影響で、13歳からこの楽器を習い始めます。
97年にはパラグアイに留学、その翌年には同国の音楽祭である「グアランバレ・フェスティバル」のアルパ部門代表選考会で優勝、これは日本人初の快挙でした。その後の本選会でも特別賞を受賞、99年の全日本アルパコンクールでも優勝、更に2000年にはメキシコで開催されたラテンアメリカ・アルパフェスティバルに出場と、輝かしい活躍を見せます。
今回ご紹介する"INOCENCIA"は、そんな彼女のCDデビュー作として、2000年6月に発売されました。(詳細は画像クリック)
パラグアイなど中南米諸国で生れたアルパの為の曲が中心ですが、中には「天使のささやき」「白い鳥」といった自作曲や、兄で作曲家の上松範康氏の手掛けた「星の小さな贈り物」といったオリジナル曲も収録されています。「アルハンブラの想い出」や「コーヒールンバ」といったよく知られた曲も、アルパの音色で聴くとまた違った趣で楽しめます。
彼女の人柄が表れた、温かで可憐な演奏です。
音色の中に郷愁がある(2007.11.13)
クラシック・ギター名曲 ベスト〜ナルシソ・イエペス ギターの魅力
クラシック・ギターの響きは、どことなく郷愁を感じさせます。
そんなギターの為に書かれた曲の中でも、時に「小さなオーケストラ」と形容されるギターと、フルオーケストラの競演が楽しめるのが「アランフエス協奏曲」でしょう。
殊にその第二楽章の哀愁漂うメロディーは、ジャズ・ミュージシャンも好んで取り上げるほどで、「恋のアランフエス」などのサブタイトルが付く事もあるほどです。
「あの旋律には日本の演歌に通じるものがある」と誰かが言ってましたが、そう言われるとそんな感じもしますね。
これを作曲したスペインの作曲家ホアキン・ロドリーゴ(1901〜99)は、悪性ジフテリアの為幼くして失明しましたが、早くからその楽才を発揮し、文字通り20世紀と共に生きた作曲家です。
この作品は1939年、彼が38歳のときのもので、ギター協奏曲の中でも最高傑作と言われています。
アランフエスは、マドリードから南へ47�厠イ譴申蠅砲△蠅泙垢�、ロドリーゴがビクトリア夫人(詩人にしてピアニスト)と共に彼の地を訪れた際、その風光明媚な美しさに触れ、この時期に勃発したスペイン内乱による被害に心を痛め、平和への願いをこめて作曲したと言われています。
あの哀愁漂うメロディーは、つまり平和への祈りでもあったのですね。
さて、この曲を生涯に亘って何回も演奏したギタリストと言えば、これもスペイン人のナルシソ・イエペス(1927〜97)が有名です。
1947年、指揮者アタウルフォ・アルヘンタ(1913〜58)によって見出され、「アランフエス」のソリストとして抜擢されたのをきっかけに注目されます。
50年、公演で訪れたパリに留まり研鑚を積み、そこで映画監督ルネ・クレマン(1913〜96)と出会い、「禁じられた遊び」の音楽を全編担当するという大役を仰せ付かります。そのテーマ曲も大ヒット、一躍有名になりました。
64年からは自ら開発した10弦ギターを用いた演奏活動を始めました。
今回紹介するCD(詳細は画像クリック)では、彼は実はまだ10弦ギターを使っていません。
アルヘンタとの共演ですので、1950年代のレコーディングとなります。
しかし、この時の録音が未だに古今東西の「アランフエス」の録音の中で最高傑作といわれており、それだけイエペスが若くしてギターの奥義を知り尽くしたかのような演奏がそこにはあるのでしょう。
早世が悔やまれる指揮者(2007.11.24)

オムニバス(管弦楽) / アルヘンタ/コンプリート・デッカ・レコ...
(上記記事に関連して)
ここで出てくるアルヘンタという指揮者について、私もどんな人かよく知りませんでした。彼がロンドン交響楽団を指揮した"España"(スペイン)と題するレコード(上記リンクはCD化されたもの)が家にあるのですが、それにも詳しい経歴は書かれていません。
上記記事で紹介した「アランフエス協奏曲」のCDにもイエペスの経歴が書かれていただけです。
そこで、ウィキペディアで調べた所、この人物の意外な経歴がわかりました。
アルヘンタは、1927年に13歳で王立マドリッド高等音楽学校に入学し、30年にピアノ科で首席を獲得しています。そのことで、スペイン内乱で徴兵されずに済み、ベルギーやドイツでピアノや指揮の研鑚を積む事が出来たといいます。
内乱が終息して後スペインに帰国し、スペイン国立管弦楽団の団員となりました。その後1944年にマドリッド室内管弦楽団の指揮者に就任し、45年からはスペイン国立管弦楽団を指揮するようになります。47年より同楽団の終身音楽監督に就任しています。
スペイン国内で高い評価を得、更に世界的にも成功を収めようかとした矢先の1958年1月、一酸化炭素中毒により不慮の死を遂げました。書斎の暖房のスイッチを入れっぱなしにして自動車に乗り込み、車庫の扉を下ろしたままエンジンとヒーターをふかしたのです。まだ44歳の若さでした。
で、この「スペイン」ですが、彼の死の前年、1957年にイギリスのデッカレコードが草創期のステレオ録音を宣伝する商品として企画したものです。
収められているのは、主にスペイン人以外の作曲家が手掛けたスペイン音楽で、シャブリエ(フランス人)の「狂詩曲スペイン」、モシュコフスキー(ポーランド生れのドイツ人)の「スペイン舞曲」、グラナドス(これはスペイン人)の「アンダルーサ」、あと家のレコードには収められていませんがリムスキー・コルサコフ(ロシア人)の「スペイン奇想曲」となっています。
恐らく本来はLPとして売り出されたのでしょうが、家にあるのはそれをコンパクトにしたEP盤、だから「奇想曲」は時間の関係でカットされたのでしょう。
CDには他に、スイスロマンド管弦楽団と組んだドビュッシーの「管弦楽のための映像」なども収められています。
いかにもスペインの空気をストレートに表現した演奏です。
20世紀が生んだ古典(2007.12.08)
ノルウェーの森〜アメイジング・ザ・ビートルズ

12月8日はジョン・レノンの命日に当たります。
かつて、ロック音楽と言えば不良の音楽として一段低く見られていました。
ビートルズ来日公演の際も、当時の高校生の多くは学校に見つからないように変装して出かけたといいます。今日、ビートルズナンバーが音楽の教科書にも登場していることを考えるととても信じられませんが、それが1960年代という時代の空気だったのです。
そのビートルズは、ロックに軸足を置きながらも実際にはクラシックから民族音楽まで幅広い音楽性を吸収して楽曲製作に当たりました。そのことが多くのミュージシャンの共感を集め、様々なジャンルの人々によってカバーされる結果となりました。
以前紹介した高木ブー(日本公演の際の前座バンドの一つ・ドリフターズのメンバー)によるハワイアン調のカバーもその一例ですが、今回はクラシック畑に軸足を置きながらもよりボーダーレスな活動を行うデンマークの3人組・トリオロココがビートルズナンバーを聴かせるCDのご紹介です。
トリオロココとは、オーボエ・チェロ・ハープからなる3人組で、1983年の結成以来クラシックを中心に様々なジャンルの音楽に取り組んでいます。当初は母国での活動に留まっていましたが、95年に発売されたこの「ノルウェーの森」が彼等にとっては世界デビューとなった作品です。
ビートルズナンバーの多くはジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作となっていますが、実際には全くの共作は少なく、そのどちらかが曲作りの主導権を取っていました。このCDに収められている曲の中でも、「ビコーズ」「デイ・トリッパー」「イン・マイ・ライフ」そして表題曲である「ノルウェーの森」がレノンの作品となっています。
改めて聴いてみると、やはり名曲はいかにアレンジを変えても名曲だと実感します。稀代のメロディーメーカーだったレノンを偲びつつ、聴いてみるのも一興でしょう。
くしくもこの日は、日米開戦記念日でもあります。
国家間の戦争によって失われる命も、一個人の凶行によって失われる命も、理不尽な死であることに変わりはありません。
せめてその日一日だけでも、世界平和を祈りつつ、心穏やかに過ごしたいですね。